このようにみてまいりますと、中国・東アジア・東洋史の視点から日本史をとらえなおすことの意義がよくわかるのではないでしょうか。
西洋の各国史はもちろん自国史です。ですが英・仏・独いずれも隣り合い、しかも各国は列強として世界を制覇した経験もありますので、各国史は同時に西洋史でもあり、また世界史にもなりえます。
ところが日本の場合は、そうはいきません。いくら日本史を掘り下げても、全体的な世界史は出てきません。折に触れて外国が登場はしても、あくまで日本からする意味づけにとどまって、客観的な文脈はほとんど重視されないのです。それほど日本は世界から孤立して、独自だったともいえるでしょうか。
東洋史の枠組みでみる「真実の日本史」
そのため明治の日本人が草創したのが、東洋史学という学問でした。江戸時代からすでに漢学で中国の史書・史実には親しんでいましたので、西洋史とは別に東洋の「ワールド・ヒストリー」を作って、あらためて日本自身をみつめなおしてやろう、そして東西あわせた世界全体の世界史を構築しようと考えたのです。
とりわけ東アジアで圧倒的な存在の中国の歴史を抜きにして、空間的にも時系列的にも日本の位置を理解することはできません。日中両国は日本海をはさんで対峙し、お互いに不断の影響をおよぼしてきました。東洋史学によって中国や東アジアという世界を説明できれば、その関係性から日本のありようも明らかにできます。ひいては世界全体における日本の位置づけもみえてくるのです。
にもかかわらず、現在その東洋史学は、解体寸前の絶滅危惧種です。大学にある東洋史・中国史の講座・授業には誰も寄りつきませんし、いまや真っ先に消えてゆく運命にあります。つまり日本人は、先人が築いたはずの東アジアからの目線と日本を世界全体に接続する有力なよすがを失いつつあるのです。
気候変動と日本の歴史との関わりなどは一例にすぎませんが、温暖化の昨今、日本史を学ぶにあたって中国史とつなげる意義を示すものでしょう。