中国史とつなげて学ぶと日本史の常識が覆る理由 「アジア史の視点」から日本史を捉えなおす意義

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そのよすがの1つになるのが、中国史とつなげてみることでしょう。日本は島国ですから、外界との連絡・交渉に乏しい初期条件があります。勢い外との関わりにあまり立ち入らずに歴史をみがちですし、またそれでも十分に内容のある歴史が書けてしまいます。

ですが、それだけではみえないことも、またたくさんあります。気候変動の関連などは、その最たるものでしょう。そこでたとえば、日本の史実経過を近接する中国史の動向と照らし合わせて考えてみると、みえなかったものが視界に入り、新たな視野も開けてくるかもしれません。

古代の日本が目指した唐の律令体制

律令国家の形成は、日本の古代史の画期です。その律令とは中国由来の法制ですから、中国・東アジアとのつながりは、つとに意識されてきました。それでも、輸入した律令・土地制度など、日本の立場からみるばかりで、相手の中国・唐が全体として、実際にはどんな国家だったのか、なぜその律令ができたのか、あまり考慮しているようには思えません。

唐は中国の長い分立時代を経て、ようやくできた統一政権です。それまでの分立は、主として黄河流域に遊牧民が南下移住してきたことで起こったものでした。ではなぜ、かれらが移住してきたかといえば、気候の寒冷化によります。北方の草原地帯で暮らしてきた遊牧民は、寒冷化で草原の植生が激減、生業の牧畜ができなくなり、生存のため移住せざるをえませんでした。

移民と既存の住民のあいだでは、しばしば摩擦が生じます。そこで治安を継続的に維持しうる秩序は、なかなか構築できません。そうした秩序回復がひとまず実現をみたのが、唐の統一でした。つまり唐の律令体制とは、従前の分立時代、ひいては気象変動の歴史が刻印されているものなのです。

かたや日本列島は、ようやく国家形成の黎明期でした。建国にあたってモデルとできるのは、すでに数百年以上先んじている大陸の体制しかありません。そこで律令をコピーして、国家体制をアップデートしました。

ただ日唐の国情・経歴には、あまりにも隔たりがあります。列島は寒冷化・移民による動乱、政権の分立や統合といったことに未経験ですから、オリジナルな律令そのままのコピーは困難でした。日本版の律令を作るにあたって、かなりの改編を経たのはよく知られたところですが、それでも日本の実情に合わないところが少なくありません。

そうしたいきさつをもっと突きつめて考えてやれば、気象変動に大きく影響をうけてきた大陸の履歴と、さほど問題になったようにみえない日本の歴史過程とのちがいがいっそうはっきりして、古代史の位置づけを捉えなおすこともできるでしょう。

律令体制からの逸脱、それにともなう武家政治の形成が、古代から中世への日本の歩みでした。北半球の気象は同じ時期、温暖化に転じています。それは大陸では、寒冷化に適応した唐とその律令体制の崩壊過程でもありました。日本の中世はそうした動きと並行していたのです。

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