小4で不登校になった僕が耐えられなかったこと 当時はうまく言葉にできなかった

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でも内申のためには、とにかく学校を休めない。学校にいるあいだは、ときどき保健室に逃げ込んでいました。でも、保健室にいても先生の怒号が聞こえるなどで安心できません。学校にいること自体が苦しくて、だんだん朝行って昼前に早退することが多くなっていきました。

心をえぐった同級生の言葉

給食前に教室で帰る準備を始めると同級生の視線が痛かったです。遠巻きに僕のほうを見て、「何あいつ、帰んの?」とひそひそ話しているんです。罪悪感でいっぱいになりました。

同級生の言葉にひどく傷ついたこともありました。クラスのみんながほかの教室で授業を受けるなか、自分だけ教室に戻って帰ろうとしたときのことです。早退する際は先生に報告しないといけなかったんですが、いつも理由を問いつめられるので言いづらく、たまたま教室に忘れ物を取りに来た同級生に、「今から帰るから先生に伝えといてくれん?」と頼みました。そしたら一言、「やだよ。卑怯者」。心がえぐられるようでした。

結局、先生たちの締めつけは強いし、クラスでは孤立するしで、中学も不登校に。親と話し合ってこの9月から再びフリースクールへ行くことになりました。

――これからのことを今はどのように考えていますか?

農業高校を目指すかどうかはいったん置いておこうと思います。そもそも進路を考えたのは、母に将来の夢を早めに決めるよう言われていたからです。たぶん、姉が不登校だったとき、母は先が見えなくて不安だったんだと思います。僕には早く道筋を立ててほしかったんでしょうね。農業は、考えてみればそんな母に応えられるようにと、ユーチューブや漫画から見出した夢でした。

(写真:不登校新聞)

でも母は、フリースクールに戻るかどうかの話し合いをしたとき、「将来をそんなにむずかしく考えなくてもいいよ。人間はなりゆきで変わるもんだよ」と言ってくれました。中学に通い始めたばかりのころは、学校へ行くことをすすめていた母でしたが、僕がどうしても行くのがつらいと悩むようすを見て、考えが変わったようです。

フリースクールに戻る選択肢も母のほうから切り出してくれたことでした。学校に毎日通って、よい進学先を目指すことだけがすべてじゃないと母が示してくれたおかげで、僕は肩の力が抜けました。

今後は人に縛られずにやりたいことをやっていきたいと考えています。最近親のお古のパソコンで動画編集をやっていて、それが楽しいからもっとやりたいと思うし、あと音楽が好きだから作曲もやってみたいです。将来のことはゆっくり考えていくことにします。

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