小4で不登校になった僕が耐えられなかったこと 当時はうまく言葉にできなかった

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実際フリースクールは楽しかったので、暴力的だったり暴言がひどかったりする子がいても通いました。どんなところがよかったのかというと、自分たちの好きなようにできるところ。みんなでご飯をつくったり、キャンプをしたり。子どもが自分たちで考えて行動する、大人はそれを支えて、応援してくれる、といった雰囲気がありました。学校ではいつも先生に従わないといけなくて窮屈だったけど、フリースクールではそんなことはありません。100点満点の居心地ではなかったけれど、学校よりもはるかに魅力的でした。

時間をかけて

じつはそのスクールに通うのには片道2時間かかります。朝早くからひとりで電車を乗り継いで行くのでとても疲れて、最初はたまに休むこともありました。でもがんばって通ううちに気の合う友だちもできました。だんだんフリースクールは僕の居場所になっていたんです。親が駅まで車で送ってくれたり、学校に掛け合って通学定期券(※)を利用できるようにしてくれたりしたおかげもあって、ほぼ毎日通うようになりました。

しかし小学校卒業とともにそのスクールを離れることになりました。小6の冬から進路について考え始めたからです。シンガーソングライター兼米農家の小田桐仁義さんに憧れていた僕は、将来農業をやりたいと思うようになり、そのために農業高校へ行こうと考えました。

そのことを親に話すと、「だったら、内申点を取るために中学へ行ったほうがいいよ」と言われ、今年の春から地元の中学校に通うことになりました。

――久しぶりに学校へ行くことになったんですね。

そうですね。といっても、進路のためにしぶしぶでしたけど。中学では、ただでさえ学校へ行くのがイヤなのに、小4~小6まで自分だけフリースクールへ行っていたため、同級生と話が合わず、つらかったです。

(写真:不登校新聞)

それから中学でも小学校のときと同じで、何をするにも集団行動。相変わらず体育の授業は、先生に命令されるばかり。運動はあまりせず、「前にならえ」など整列の練習をひたすらさせられました。たまに体を動かすことがあったかと思えば、行進やジョギングをするだけ。まるで軍隊ですよね。「これって体育なのか?」とまた疑問が出てきました。

先生の態度も気になりました。生徒を指導するときは、どなるのがあたりまえ。「正座しろ、正座!」と体罰をする先生もいました。「この学校はダメだ……」。僕はまた学校へ行きたくなくなってしまいました。

次ページでも内申のためには学校を休めない
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