パナソニックが「松下離れ」後に背負う十字架 創業家の世襲問題をめぐる悲喜こもごもを経て
秀才型経営者は、紙に目を落とすことなく、噛まずにすらすら話し、アナリストだけが分かるIR(投資家向け広報)用語を巧みに使えても、従業員の魂は揺さぶれない。言い換えれば、「広義の文学性」が欠けていると言えよう。株主重視経営のもと、IR会見、アナリスト会見が一般化し、経営トップの口調がエコノミスト化してきた。ひと昔、ふた昔前の文化を感じさせる経営者が非常に少なくなってしまった。データサイエンスがより重視される時代になってきただけに、ロボットのような社長が増えてくるのではないかと心配になる。
この点で幸之助氏は天才であった(他の経営者の例もあるが)。誰でもわかる言葉を巧みに使い、その文章は「文芸的エッセイ」になっている。筆者は幸之助氏を「経営文学の天才」と称している。つまり、経営者には大衆文学作家や、歌謡曲の作詞家のような情感に訴える表現力が求められる。これは、見てくれだけ、口先だけの「パフォーマンス」を意味しているのではない。そこには「経営哲学」が凝縮されている。わかりやすい表現を重みのあるものにしているのは、幸之助氏が修羅場をくぐり、普通の人では達成できないような偉業を一代で達成したからだ。このことは他の名経営者と言われる人にも共通している。
幸之助氏の経営の基本は「任せる」であった。それを日本初の事業部制という形で具現化した。そして、右腕だった高橋荒太郎氏をはじめとする番頭格の人たちは皆、修羅場をくぐってきた。だからして、部下たちは敬意を表し、彼らが発する言葉に重みと哲学を感じたのだろう。
幸之助氏の情にとらわれない距離を置いた家族観
ところが幸之助氏は、ファミリーに任すことができなかった。それは、「会社は社会の公器」と考えていたからか。それだけではなく、ファミリーとの間に複雑な関係があったからだろう。経営者を見る目は、どうしても「公」に向けられる。だが、ファミリービジネスの場合、ファミリー固有の事情、つまり「私」の部分、さらには「公」と「私」が交錯するせめぎ合いの部分に注視することで、そのトップの意外な一面を発見することができる。
幸之助氏と家族との関係について正幸氏に聞いたとき、気になる言葉を口にした。
――幸之助さんは正幸さんにとって、どういう存在でしたか。
「おじいさん(祖父)だと思ったことは一度もありません。家庭においても、経営者(創業者)・松下幸之助でした。幸之助は9歳にして丁稚奉公に出され、和歌山の家を離れた後、両親、兄弟とも早くして死別したこともあり、家族とは何かがよくわからなかったようです」
創業家の影響力が大きいと思われ続けたパナソニックだが、幸之助氏は松下家の存続を望みながらも、その一方で、ファミリーとは冷静な関係を維持した。このベースには、情にとらわれない距離を置いた家族観があったと考えられる。
「パナソニックホールディングス」の初代CEOになる楠見氏は、創業家の影響力がなくなった今、「ファミリー」との関係を意識することなく自由奔放に経営できる。とはいえ、創業者、創業家出身者と同等、いや、それ以上の求心力を持つことができるだろうか。
「津賀さんは論理的な技術系の人が好きなんですよ」
津賀氏に近い人によると、「津賀―楠見コンビ」の結束は極めて強く、2人は同様の価値観を共有しているようだ。本当の合理主義者は合理主義である素振りを見せない。幸之助氏がそうであった。単純な合理主義とは思えない人間の複雑性を洞察した言葉を多く残している。それらは修羅場経験から編み出された論理に基づいている。
幸之助氏は「経営の神様」と呼ばれたが、独自のプラグマティズムを構築した経営哲学者でもある。楠見氏には、幸之助氏の伝道師で終わることなく、オリジナルな経営哲学を構築し、文学性に富んだ表現で人々の心を動かしてほしい。このことは、パナソニックの再生を可能にするうえで不可欠な条件である。
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