パナソニックが「松下離れ」後に背負う十字架 創業家の世襲問題をめぐる悲喜こもごもを経て

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⑨ 2006年、7代目社長に就任した大坪文雄氏は、2008年1月に松下電器産業から「パナソニック」へ社名変更し「松下」を消したが、正幸氏が代表権を持っていたこともあり、創業家との関係をあからさまに軽視したわけではなかった。大坪氏は「真のグローバルエクセレンス(世界的優良企業)になるには、ブランドを統一して全従業員の力を結集する必要があると判断した」「創業家には昨年(2007年)12月に説明し、すぐに賛同してもらった。『会社は社会の公器』など、松下幸之助の経営理念は守っていく」と強調した。

⑩ 2012年に8代目として津賀一宏氏が、続いて2021年に9代目として楠見雄規氏が社長に就任した。松下正幸氏が顔を出さなくなったことで、パナソニックは「ファミリー」とは無縁の会社になった。だが、津賀社長時代の9年間を含めて、パナソニックは30年前と売上高は変わっていない。

幸之助氏没後に低迷が始まった

つまり、幸之助氏が亡くなってから長期的凋落(低迷)が始まったといえよう。時価総額でもライバル(であった)ソニーに4倍以上の差をつけられ、近隣のキーエンス、ダイキン工業、日本電産、任天堂、村田製作所にも大きく引き離されており、もはや、「関西経済界の盟主」ではなくなってしまった。今、「脱大阪」が注目されているのも皮肉な話である。

以上のように、「脱ファミリービジネス」のストーリーのプロローグは、山下氏の世襲批判で始まったと言えよう。それも記者会見ではなく、パーティー会場で口にした一言が今風に言えば「炎上」した。これを受けて正治氏が「松下家だからといって社長になれないというのはおかしい」と反撃したこともあり、その後、山下氏は松下家の世襲については多くを語らなくなった。

では、松下家の跡取り候補であり続けた正幸氏はどのように考えていたのだろうか。この点について問われ、次のように答えている。

――ファミリー経営を残しながら成長を続けるグローバル企業も少なくありません。
「創業家が経営に関わるのと、全く関わらないのとどちらがいいのかは経営学者がやる議論だ。創業家と会社のあり方は百社百様。実際は経営環境や創業家にどんな人間がいるかによる」(「『会社は公器』パナソニック、取締役から松下家不在に」日本経済新聞・電子版、2019年8月13日)

百社百様とのことだが、パナソニックは「ファミリービジネスの定説」通りに事は運んでいない。

たとえば、キッコーマン、スズキ、松井証券などの成功事例を取り上げて、「娘婿を後継者にした同族企業は成功する」とされているが、正治氏の場合はどうであったか。

「創業家の影響力は強い」ともいわれる。だが、それも結果次第ではないだろうか。MCA買収の失敗で創業者亡き後の創業家出身者(正治氏)に対する社員、株主をはじめとするステークホルダーの創業家への信頼は大幅に低下。続いて、松下興産の破綻が創業家の首を絞めた。

百社百様の企業統治があるのは否定できない事実だ。ファミリービジネスであれば優れた経営ができると一般化できないのと同様、専門経営者が経営すれば必ずうまくいくとも限らない。いずれにせよ、やりにくい時代になってきたという共通要因がある。

「上から目線」と下から上が批判され謝罪が求められる「脱・面従腹背時代」になってきたことだ。上の人が期待しているほど、下が尊敬していない、言うこと聞いてくれないという現象が生じている。SNSが普及し「一億総辛口評論家時代」になってきた。トップが尊敬してもらうのも至難の業となっている。創業家出身だから、MBAを取得したプロの経営者だから、だけでは「それがどうした」と思われるのがオチ。ましてや「経営の神様」として奉られるようになるのは奇跡である。

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