ゴッホ「生前はパッとせず」早すぎた天才だった訳 印象派主流の時代にまるで違う手法で斬り込んだ
ゴッホが本格的に絵の世界へ入ったのは27歳
ゴッホ。本名フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ。オランダの牧師の家に生まれた。5人兄弟の長男で、おさないころはかんしゃく持ちであつかいにくい子といわれていた。
ゴッホ、16才。絵を売る仕事、つまり画商をやっていた。しかし金もうけのことばかり考えるのがイヤになり不満をもらすようになる。数年つとめたものの、けっきょく、クビになってしまう。
23才のとき女性にふられて、キリスト教にハマり、そこからキリスト教の教えを広める伝道師を目指した。しかし、これもうまくいかず、27才で本格的に絵の世界に入った。
何かを始めるのにおそすぎるということはない。ゴッホは、画商をしていた弟のテオに生活費を出してもらい、必死に絵を描いた。描いて描いて描きまくった。死ぬまでの約10年間で、1000枚以上もの絵を描いたといわれている。
え? そんなに描いたのに、生きてる間に1枚しか絵が売れなかっただと? なぜだ。今ではこんなに価値があるのに、なぜ当時は売れなかったのだ?
絵にもそのときどきのブームがある。当時は「印象派」というジャンルの絵が人気だった。印象派とは、かんたんにいうと、これまでになかった光の表現を絵に持ちこんだ手法だ。同じ風景でも、光によって見え方が変わってくる。
ただ、もともとはこのタイプの絵も最初は受け入れられなかった。そのため印象派というよばれ方は、じつはからかいの言葉から始まっている。
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