ゴッホ「生前はパッとせず」早すぎた天才だった訳 印象派主流の時代にまるで違う手法で斬り込んだ
なるほど。これは、かしこい売り方だな。あえて窓が少ないことを宣伝文句にすることで、自分の部屋、それも高いお金を出して買った部屋に、光が足りないことに気づかせ、さみしく感じさせる。これが「のどがかわいた」と思わせることだ。
じっさい、ゴッホの弟テオも印象派の絵を売ることで、ゴッホに生活費を送れるくらいの生活ができていたようだな。
ただ、このブームのせいで、ゴッホのように、自分の色彩やタッチを探していた画家たちには、チャンスがめぐってこなかった。
ただ、ゴッホはここで、孤独に別れをつげようと、ほかの画家たちと交流を持った。さらに、かれらが集まれるようにアルルという町に家を借りた。こうして、ゴッホなりに理想を持ち、チャンスを作ろうとしたのだが、けっきょく、アルルの家には、後に有名画家となるゴーギャンしか来てくれず、そのゴーギャンともすぐにケンカ別れ。理想が失われたゴッホは、その後、孤独を友に絵を描くようになる。
この絵は、孤独の中で生み出されたものなのか。そうか……。
ようやく訪れた栄光の時代を享受できず
だが、時代は変わる。その変化は、1890年ごろから、ゴッホの身にもおとずれた。この年の初めくらいから、ゴッホの名が絵画の世界で知られていく。雑誌でゴッホの絵をほめたたえる記事が出た。また、美術展に出した絵が、初めて売れたのもこの年だ。
いよいよ、ゴッホにも栄光の時がやってきた。自分の絵が時代の流れに乗ってきた。
しかし、この年、ゴッホは死んでしまう。
絵を描き始めてからたったの10年。絵画の世界に入り、とりつかれたように絵を描き続けてきたが、時代が追いついた、そのとき、ゴッホに死がおとずれてしまったのだ。
ゴッホの死の次の年には、展覧会で多くのゴッホ作品が展示され、一気にゴッホの名は広まり、人気画家となった。そしてその人気は130年以上経った今でも続いている。と。
……ふむ。ゴッホは早すぎたのだな。それも、ほんの少し、早すぎた。
印象派を学びつつも、その流れに完全には乗らず、自分の絵を求めたゴッホ。そして、時代がようやく追いついたところで、ゴッホは旅立ってしまった。というわけか。じっさいにゴッホとくらし、新しい絵に取り組んでいたゴーギャンは、その後、人気画家になっているみたいだしな。
ただ、ゴッホの絵は、やはり今でも多くの人の心を打っている。何しろ、絵画にくわしくないわたしですら、この絵に心をうばわれてしまうくらいだからな。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら