ゴッホ「生前はパッとせず」早すぎた天才だった訳 印象派主流の時代にまるで違う手法で斬り込んだ
一方、ゴッホは、自分だけの描き方を探して1人もくもくと描き続けた。最初は、まずしい人たちの生活を描くなど暗い絵が多かったが、印象派の絵や、日本の浮世絵などからも学ぶうち、日を追うごとに進化していったのだ。だんだんと、ゴッホにしかない色のあざやかさ、すなわち色彩で描けるようになり、ぐるぐるうねうねとした「ゴッホらしい筆の運び」も生まれてきた。
そのためゴッホの絵は、「自分らしい絵」を目指す仲間や、一部の人たちからはそれなりに価値をみとめられていた。たとえば若い画家のめんどうをよく見てくれていた、画材店をいとなむタンギー爺さんという人がいたのだが、ゴッホはかれに、お金の代わりに自分の絵を送り、画材を手に入れることもあったようだ。
しかしゴッホをふくむ、新しい時代の画家たちの絵は、まだまだ多くの人、とくに絵画を買うようなお金持ちにはとどかなかった。新しすぎたのだ。
ふむ。当時、多くの画家は、人気のあった印象派の絵画を描いていた。いわば、売れるための常識だったわけだな。でもゴッホは、その常識をただ追っかけ回さず、自分の表現を追求していたわけか。1人さみしく。
「良いものを作れば売れる」わけではない
これは、芸術家としては、りっぱだが、やっぱりそれだと、売れないな。
商売は「良いものを作れば売れる」わけではない。売れるためのコツは、質ではなく、市場を作ることだ。
たとえば、そうだな。のどがかわいて、今にも死にそうな人間なら、持っているお金すべてを出してでも、水を買うだろう。もし、その水に、多少ドロがまじっていたとしても。
ぎゃくに、まったくのどがかわいてない人は、タダでも水は買ってくれない。
かんたんにいえば、商売というのは、こういうことだな。
さらに、広告、宣伝で「のどがかわいたぁ」と思わせることも大切だ。
まあ、だいたい印象派のようにブームになるものには、そこに何かしらの商売のポイントがかくされているはずだ。お、それも書いてあるな。どれどれ?
このころは、今でいう高級マンションが建ち始め、金持ちが、こぞってそこに住み始めた。マンションはふつうの家にくらべると、窓が少ない。そこで、光の表現を使った印象派の絵をかざることで、家の窓が増えたように感じられる。だからそれらの絵を買う金持ちも多い。こうして、絵画市場は印象派の絵が多くならぶようになった。
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