いま再び「幸福」が社会的テーマになっている理由 「自己実現」のさらにその先にある「自己超越」

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そしてここで特に注目したいのは、晩年のマズローが、上記のような欲求の階層構造の最後に位置づけていた「自己実現」のさらにその先に、「自己超越」(または単に「超越」)という次元を付け加えたという点だ。「自己超越」とは、マズローによれば「自分自身、そして大切な他者、人類全体、他の生物、自然、そして宇宙とつながること」を意味している(“The Farther Reaches of Human Nature”)。

ちなみに私自身は、冒頭でふれた拙著などで「地球倫理」ということを論じ、それを「地球環境の有限性や多様性を認識しながら、個人をしっかり立てつつ、個人を超えてコミュニティや自然、生命とつながる」ような志向として述べた。

「自己超越」という言葉を含め、このように記すと随分と抽象的でいささか“浮世離れ”した議論をしているように響くかもしれないが、そうではない。

若い世代の社会貢献意識と「自己超越」

こうした点に関する、私にとって身近な例を挙げてみよう。近年、いわゆるソーシャル・ビジネスや社会的企業を立ち上げるような学生の志向や、若い世代の一部に見られる社会貢献意識は、ここで述べている「自己超越」と通底するところが大きいように思える。

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たとえば、農業と再生可能エネルギーを組み合わせた「ソーラーシェアリング」という事業――田んぼや畑の上部に特殊な形の太陽光パネルを設置して食料生産と自然エネルギーの一石二鳥を図る試み――を進める環境系のベンチャー企業を立ち上げた卒業生の言動には、そうした志向が感じられる。

また、社会的課題の解決に向けた会社をスタートアップした別の卒業生は、自分がやりたいのは「自己実現」ではなく「世界実現」であると語っていた。つまり「自己実現」というと、どこか自分の中で完結したようなニュアンスが残るのに対し、彼の場合は、むしろ世界(ないし社会)そのものを望ましい方向に近づけていくこと――世界実現――が基本にある関心であるというのがその趣旨だった。

こうした若い世代の関心や活動は、いみじくもマズローの言う「自己実現/自己超越」と重なっているように見える。

つまりそれは、個人が限りなく利潤を極大化する、あるいはGDPの無限の増加を追求するといった近代資本主義のベクトルとはやや異なり、コミュニティや自然とのつながり、社会貢献、ゆるやかに流れる時間といったものへの志向を含んでいる。

そして以上に挙げたような例が示しているように、それは“ビジネス”としての事業性を持ちながら、それに尽きない、ある意味でSDGs的な理念とも通じるような性格をあわせもっている。

そうした方向が、本稿で論じた「幸福の重層構造」のピラミッドの最上層部とつながり、言い換えれば「人間の需要の“最後の未開拓の領域”」としての「幸福」「ウェルビーイング」という発想と重なるのではないか。

それは人間にとっての究極的な「イノベーション」の段階であるとも言え、人類史的な展望の中で取り組んでいくべきテーマと言っても過言ではないのである。

広井 良典 京都大学 人と社会の未来研究院教授

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ひろい よしのり / Yoshinori Hiroi

1961年岡山市生まれ。東京大学・同大学院修士課程修了後、厚生省勤務後、96年より千葉大学法経学部助教授、2003年より同教授。この間マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員。2016年より京都大学教授。専攻は公共政策及び科学哲学。限りない拡大・成長の後に展望される「定常型社会=持続可能な福祉社会」を一貫して提唱するとともに、社会保障や環境、都市・地域に関する政策研究から、時間、ケア、死生観等をめぐる哲学的考察まで幅広い活動を行っている。著書に『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書、大佛次郎論壇賞)、『日本の社会保障』(エコノミスト賞受賞、岩波新書)、『人口減少社会のデザイン』(東洋経済新報社)など。

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