手術する物資もない「ハイチ」大地震後の惨状 栄養不足や貧困が一段と深刻化する可能性
骨折や外傷を負った患者たちが、損壊した病院に、あるいは無料のフライトを求めて空港へ押しかけている。数少ない医師は臨時に作った手術室で働き続けている。元上院議員は、自身の7人乗りプロペラ機を使って、最も緊急性の高い患者を首都の救急医療施設へと運ぶーー。
ハイチ西部で発生したマグニチュード7.2の地震で、少なくとも1300人が死亡し、数千人が負傷した翌日の8月15日、レカイ市の主要空港には80マイル(約128キロ)東の首都ポルトープランスに愛する人を避難させようとする人々が殺到した。
物資が足りず、負傷者の手術ができない
選択肢はあまりない。100万人が暮らす地域で対応できる医師はわずか数十人で、地震の余波が一層悲惨なものになりつつあるのだ。
「あそこの外科医は私1人だ」と整形外科医のエドワード・デスティン医師は、レカイ空港近くに設置されたトタン屋根の臨時手術室に向かって合図した。「今日は10人を手術したいが、物資がない」と同医師は述べ、点滴や最も基本的な抗生物質までもが至急必要であると話す。
この地震は、ハイチを震撼させる最新の災害となった。ハイチは、いまだに推定25万人が死亡した2010年の地震の影響の中にある。 14日の地震は、ハイチのジョブネル・モイーズ大統領暗殺から約5週間後に発生。この暗殺は深刻な貧困と、ギャングの暴力行為の蔓延ですでに苦しむ国を指導者不在の国にしてしまった。
ハイチ当局は、数十万人への援助の配布が遅れて死者数が増加した2010年の混乱に留意し、地震への対応を調整するために奮闘していた。
アリエル・アンリ首相は15日の会見で、ポルトープランスのオペレーションセンターの1つが援助活動を調整することで、「2010年に行った活動よりも適切な対応をする」と誓った。