手術する物資もない「ハイチ」大地震後の惨状 栄養不足や貧困が一段と深刻化する可能性
ハイチの複数の病院を監督する救援機関「パートーナーズ・イン・ヘルス」の共同創設者ポール・ファーマー博士は、地震に対応する国の能力は新たな救急医療サービスとトレーニングプログラムによって、この何年かで大幅に向上したと語る。「2010年と現在では、意のままに行えることが完全に違う」とファーマー博士。
しかし同博士は同時に、ハイチは粗末な道路、交通機関の乏しさ、政治的不安定さなどのいわゆる「古い問題」にいまだに直面しているうえに、ギャングの暴力行為が重なり、災害管理が一層困難になる可能性を認めている。
地震が発生した週末に支援を差し伸べた組織は、捜索救助チームを派遣したアメリカ国際開発局、人道支援提供のためヘリコプターを配備したとされるアメリカ沿岸警備隊などだった。 汎米保健機構は医療支援を調整するために専門家を派遣し、ユニセフは南部の病院に医薬品を配布し、水と衛生面を支援した。
11年前の地震より強力な今回の地震は、広範囲な地滑りを引き起こし、岩や瓦礫が多くの道路をふさいでいることから、負傷者や救助を必要とする人へ物資などを届けることが困難となっている。海岸沿いのレカイから約16マイル(約25.6キロ)山中へ離れた街を見下ろすマーセリン地区への道は、岩と木の枝でふさがれ、中心に亀裂ができた。
この地域に住む人々は家がひどく損傷しているか、完全に倒壊しており、野外で寝ている。同地域を襲う余震に過度に神経質となり、屋根の下への避難に安心できない人々もいた。
15日にマーセラインでは、余震が町を揺さぶり、崩壊して地面に散乱した波形のブリキ屋根がガタガタと鳴る中、ホノレ・ファイザーさんは聖アグネス教会の残った信徒席から叔母の遺体を発見した。
ファイザーさんは目を閉じ、教会の壁の一部だったコンクリートの厚板に座り揺れがおさまるのを待った。 すぐそばには、白いシートで覆われた金属製の火格子の上に叔母のイルダ・ピエールさんの遺体が横たわっていた。