プロ野球諦め米国へ渡った37歳水中考古学者の夢 世界中の水中遺跡発掘に関わる山舩晃太郎氏
散々なスタートだったが、語学学校が始まり、生活のペースができ始めると英語はそれなりに理解できるようになった。渡米後半年がたち、英語力に自信もつき始めたころ、大学院入学に必要な留学生向け英語試験・TOEFLを受験した。
TOEFLは読解、聞き取り、作文、会話と4分野に分かれているが、結果は読解でわずか1点。ほかの分野も散々で、合計でも30点以下。これではアメリカの大学院で学ぶという、夢のスタートラインにすら立てない。それからは語学学校での授業後、深夜3時まで必死に受験勉強に明け暮れた。
2008年、無事にTOEFLと共通試験GREのスコアをクリアし、大学院への仮入学が許された。1年間で良い成績を残せば正式に入学できる。仮入学であっても、夢にまで見たテキサスA&M大学の船舶考古学プログラムで授業をようやく受けられるのだ。
希望に満ちた山舩さんは早速、「船舶考古学概論」のクラスへ赴いた。クラスメート10人は全員アメリカ人。授業が始まった瞬間、希望は絶望に変わった。教授の話す内容が一言も理解できないのだ。そもそもTOEFLで合格スコアを取ったぐらいで、世界最高峰である大学院の授業についていけるわけなどなかった。
しかし、13年間打ち込んだ野球の夢をあきらめ、次の目標を見失っていたとき、水中考古学は「救いの糸が天からぶら下がってきたよう」に見えた。その糸をつかむか、つかめないかが試されている。今逃せば、次のチャンスはおそらくないだろう。
やるしかなかった。山舩さんはスクリーンに映し出される内容を必死に書き写し、授業後、併設の図書館へ駆け込んだ。そして記憶が新しいうちに、参考文献から授業で示された図や写真が載っている箇所を探し出し、説明文を読む。一字一句調べ、1回の授業内容を理解するのに15時間もかかった。
2回目以降は許可をもらって授業の音声を録音させてもらった。丹念に授業内容を調べたあとに録音を聞き返すと、ようやく教授の説明が理解できた。週3で徹夜もしたが、あきらめるわけにはいかなかった。
チャンスは自分から引き寄せる
努力のかいあり、大学院への本入学が許された。知れば知るほど水中考古学は面白く、「終わりのないロールプレーイングゲームをやっている感じ」というほど夢中になった。レベルアップするたび、知識はどんどん積み重なっていく。さらに上へ導いてくれる教授がいる。議論し合える仲間がいる。読みたい文献、知りたい資料は山ほどある。「本当に幸せな時間で、毎日が充実していて楽しくて仕方なかった」。
大学院2年生になってからは、「沈没船の復元再構築」を教えている教授のもとで助手となり、知識や技術を深めた。助手になるには成績が至らなかったにもかかわらず、熱心さが認められ助手に選んでもらったのだった。
また大学院修了にあたって書き上げた博士論文を、水中考古学関連では最も権威があると言われる国際学会で発表したことがその後の運命を変えた。論文は新技術・フォトグラメトリを応用し、沈没船復元再構築の理論を進化させる方法について述べていた。フォトグラメトリとは画像データを工学スキャンデータとして応用し、デジタル3Dモデルを構築する技術のことを言う。
学会では発表後の質疑応答で厳しく問い詰められ、壇上で泣き出す学生までいた。それほどの緊張感の中で新しい方法論が受け入れられるのか、不安だった山舩さんだが、発表後に待っていたのは大御所の教授が口にした最大限の賛辞だった。
これで空気が変わった。そこからはいろいろな研究者からほめられたり、飲みに誘われたりして夢のような数日間が続いた。学会後は、世界中の研究機関から共同での発掘研究依頼が来るようになったのだ。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら