プロ野球諦め米国へ渡った37歳水中考古学者の夢 世界中の水中遺跡発掘に関わる山舩晃太郎氏
運命を変えたのは、一冊の本。卒業論文の準備中、ロバート・F・バージェス著『海底の1万2000年―水中考古学物語』(1991年、心交社)を手にした。フロリダの鉱泉から1万年前の人間の頭蓋骨と脳がほとんど腐敗せず発見された、という記述を読み、「そんなことがあるのか!」と衝撃を受けた。それが水中考古学との出会いであり、「一目ぼれした」瞬間だった。
水中考古学は水中に眠る遺跡や沈没船を発掘、研究する学問分野のこと。山舩さんは博学で読書家の父の影響で、高校生のころから哲学や宇宙物理学など多分野の本を読んでいた。その中で特に面白いと感じたのが考古学。また映画『グラン・ブルー』が好きで、海への憧れも漠然と持っていた。水中考古学が運命の出会いと感じたのは、「考古学×海がバチンと合ってしまった」からだった。
水中考古学をもっと知りたくなった山舩さんは、さまざまな関連書籍を大学図書館で取り寄せてもらった。しかし日本語の本は少なく、ほとんどが洋書。英語は苦手だったので写真だけを眺めていたら、あることに気づく。ほとんどの写真に「Texas A & M」というクレジットが入っていたのだ。
これはアメリカにあるテキサス農工(Agricultural&Mechanical)大学のこと。水中遺跡の発掘・研究を世界的にリードしており、大学院に船舶考古学プログラムが開設されていた。しかし当時の山舩さんにとっては「宇宙飛行士になるぐらい雲の上の話」。英語のできない自分が留学するなど思いもしなかった。
そのため、まずは国内で水中考古学が学べる大学院を探した。その過程で井上たかひこ氏の著書『水中考古学への招待 海底からのメッセージ』(1998年、成山堂書店)を読む。自伝的な内容で、井上さんが40歳を過ぎてから、しかも英語が苦手なのにテキサスA&M大学院へ留学し、水中考古学の修士号を得ていたことに驚いた。
「あれ、自分も頑張ればいけるんじゃないの? だったらアメリカで水中考古学を学びたい!」。夢は一気に飛躍した。
住む場所を決めずに渡米
大学卒業後、まずはテキサスA&M大学併設の語学学校へ入り、英語力を磨いてから大学院に入るプランを立てた。両親に決意を打ち明けると、最初は驚かれたが承諾してくれた。仕事人間だった父は、組織で働く難しさを知っていたのだろう。息子には夢を貫いてほしい、好きなことを続けてほしいと願っていた。
友人の手助けで語学学校の入学手続きを済ませ、学生ビザを取得。大学を卒業して数カ月後、スーツケース一つでアメリカへ渡った。住む場所も決めず、語学学校へたどり着けば何とかなると思っていた。
当然、現地では洗礼の嵐。到着して早々、キャンパスへ向かうタクシーでぼったくりにあった。語学学校の受付でも話がわからず、後から聞いた話では住む場所も決めずに渡米するなんて前代未聞だと笑い話になっていたらしい。
何とか入学とアパート入居の手続きを終え、いざ食事をしようとマクドナルドに入ったが、店員に注文内容をまるで聞き取ってもらえない。
「注文ぐらいできるでしょう?」と思われるかもしれないが、南部なまりの英語をまくしたてられ、圧迫感たっぷりの態度で接せられパニックになった。
店員のいらだち、どんどん伸びる列。恥ずかしさと申し訳なさで退店し、代わりにスーパーへ駆け込んだ。しかしここでも、フレンドリーに話しかけてくる店員におののき、何も買えなかった。
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