プロ野球諦め米国へ渡った37歳水中考古学者の夢 世界中の水中遺跡発掘に関わる山舩晃太郎氏

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水中考古学者・山舩晃太郎さんに話を聞きました(写真:Susann Guenther/iStock)
6月に初めての著書『沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う』(新潮社)を上梓した山舩晃太郎(やまふね こうたろう)氏(37)は、沈没船などの水中遺跡で調査発掘を手がける水中考古学者。水中文化遺産の3次元測量と沈没船の復元構築を専門とし、世界中の発掘プロジェクトに参加している。現在の活躍の陰には、プロを夢見て努力し続けた野球での挫折、英語がまったく話せないのに飛び込んだアメリカでの苦労など数々のドラマがあった。

野球でプロになる夢が破れて

小学生で始めた野球は、山舩さんにとってずっと、かけがえのないものだった。

中学ではエースで4番。スポーツ推薦で法政大学第一高校(現在の法政大学高校)に入学し、ここから甲子園、六大学野球、プロ野球と夢は続いていくはずだった。

しかし高2のときに右ひじを故障。手術で再びマウンドに立てるまでには回復したものの、結局、夏の高校野球地方大会ではベンチ入りもかなわなかった。

甲子園の夢が途絶え、打ちひしがれたが、胸にあったのは「自分はこんなものじゃない」という思い。山舩さんは懸命にリハビリと練習を続け、法政大学に進学後、野球部に入部した。

だが野球推薦で入部してくる部員たちと、レベルがあまりに違った。焦りはあったが、「努力すれば何とかなる」と誰よりも練習して追いつこうとした。その結果、再びひじを壊してしまう。それでも活躍の場を求めて厳しいトレーニングを続けたが、現実は万年バッティングピッチャー。大学3年生のとき、新入部員が軽々と150km/hの球を投げる姿を目の当たりにして「いくら努力してもかなわない」。野球の夢はあきらめた。

一方で大学進学にあたっては、「好きな歴史を学びたい」と文学部史学科を選んでいた。プロ野球選手になる道は相当に厳しく、もしなれなかったときには社会科の教師や博物館の学芸員になる道も心のどこかでは思っていた。

しかし、すんなり切り替えられたわけではない。夢を手放した絶望と、これからどうしようという不安は消えなかった。

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