24時間テレビがダウンタウンに与えた大きな影響 その後、文筆業やドラマなど活躍の場が広がる

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こうしてダウンタウンの存在は、コアなお笑い好きだけでなく、広く世間にも知られるようになった。それとともに2人の活動の場は、お笑い番組やバラエティ以外にも広がっていった。松本人志のエッセイ集『遺書』(1994年9月)は250万部を売り上げる大ベストセラーとなり、浜田雅功は役者として『人生は上々だ』(TBSテレビ系、1995年放送)、『竜馬におまかせ!』(日本テレビ系、1996年放送)などのドラマで主演を務めるようになった。

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こうしたなかで、音楽番組『HEY! HEY! HEY! MUSIC CHAMP』(フジテレビ系)(以下、『HEY!×3』と表記)がスタートした。1994年のことである。ダウンタウンが音楽番組のMCを担当するという意外性で話題になったが、この番組が興味深かったのは、そこにダウンタウンを中心にした「笑いの共有関係」が生まれ始めていたことである。

『HEY!×3』は音楽番組であるにもかかわらず、ダウンタウンとゲストのフリートークを前面に押し出したという点で画期的だった。

従来の音楽番組は、トークがあってもごく短いもので、当然ながらゲストの歌や演奏を聴かせることがメインだった。『HEY!×3』はその構図を逆転させたのである。それができたのは、卓抜したフリートークの力がダウンタウンにあったからだった。

T.M.Revolution(西川貴教)のように、ダウンタウンに対して一歩も引かずにトークで渡り合い、評判になるミュージシャンも出てきた。小室哲哉がゲストの際には、トークのなかで浜田が「曲をプロデュースしてほしい」と頼んだのがきっかけで、2人のユニットであるH Jungle with tが誕生し、そのデビュー曲『WOW WAR TONIGHT』(1995年発売)はダブルミリオンを売り上げる大ヒットとなった。浜田はこの年の『NHK紅白歌合戦』にこの曲で出場し、歌唱中に松本が乱入したことも話題になった。

浜田に「ツッコまれたい」ミュージシャンたち

『HEY!×3』における「笑いの共有関係」という点で最も象徴的だったのは、次のような光景だった。ゲスト出演した歌手やミュージシャンが、ダウンタウンとトークをする。すると、そのゲストはわざとボケて、浜田にツッコまれようとする。念願かなって、頭を叩かれるなどしてツッコまれると、当人は喜んでガッツポーズ。そういう光景が繰り返されたのである。

言うまでもなく歌手やミュージシャンは、お笑いに関しては素人である。その意味ではテレビの前の視聴者と何も変わらない。そんな彼らが、浜田にツッコまれることを切望する。そこには明らかに、ダウンタウンを中心にした「笑いの共有関係」に参加したいという欲望を見て取れる。

こうした現象は、ダウンタウンの笑いがスタンダードとなりつつあったことを如実に表している。

太田 省一 社会学者、文筆家

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おおた しょういち / Shoichi Ota

東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本社会の関係が研究および著述のメインテーマ。現在は社会学およびメディア論の視点からテレビ番組の歴史、お笑い、アイドル、音楽番組、ドラマなどについて執筆活動を続ける。

著書に『刑事ドラマ名作講義』(星海社新書)、『「笑っていいとも!」とその時代』(集英社新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『水谷豊論』『平成テレビジョン・スタディーズ』(いずれも青土社)、『テレビ社会ニッポン』(せりか書房)、『中居正広という生き方』『木村拓哉という生き方』(いずれも青弓社)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩書房)など。

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