アルゴリズムが「バッハまねて作曲」意外な結果 そもそも「芸術」とは一体何か考える必要がある

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はたして、その結果は?

7人がしばらく足を止めて演奏に耳を傾け、1000人以上の人が脇目もふらずに傍らを通り抜けた。演奏が終わったとき、帽子に入っていたのは、わずか32ドル17セントだった。

つまり、ある芸術作品の質が高いとされる客観的基準が何かしらあるにせよ、芸術的な美しさを評価するときに、その背景にあるものが関わってくる以上、何に対しても通用する具体的な美の尺度は作れない。

統計、人工知能、機械学習アルゴリズム、何を使おうが、芸術の質を数字で表そうとするのは、手で煙をつかもうとしているようなものなのだ。

それでも、数えられる何かがあればアルゴリズムにもできる。人気と本質的な質の問題を排除すれば、そこにはただ1つ数字に置き換えられるものが残る。これまでにはやったものとの類似性だ。

NetflixやSpotifyの仕組み

類似性を測定すれば、かなりのことができる。

NetflixやSpotifyにあるようなお勧め機能を作るには、何よりも類似性が理想的な測定方法だ。サブスクリプション・サービスであるこの2社には、ユーザーが新しい映画や曲を発見しやすくなる仕組みがあり、ユーザーの好みを正確に予測しようとしている。

そこで使われるアルゴリズムは、人気を基準にはできない。そうしたら、ジャスティン・ビーバーやアニメばかりを勧められることになる。また、質を表わすものとして、手厳しい批評を基準にするわけにはいかない。そんなことをしたら、仕事を終えて、リラックスして、軽めのスリラーやコメディーを見ようと思っている人に、小難しい作品ばかりを勧めることになる。

一方で、類似性を使えば、個人の好みに焦点を絞れる。その人が聴いているもの、見ているものを基に、映画情報サイトやウィキペディア、音楽ブログや雑誌の記事からキーワードを選び出す。あとは同じキーワードの曲と映画を探しだして、お勧めするだけだ。

そういったお勧め機能は完璧な曲や完璧な映画を配信するつもりはなく、正確無比である必要もない。

お勧め機能では類似性は大いに役に立つ。だが、質の基準がないまま、アルゴリズムに芸術作品を作らせたら、どうなるのだろう? これまでの芸術作品から得た情報だけで、アルゴリズムは何かを創造できるのだろうか?

1997年、オレゴン大学にやってきた観客は一風変わったコンサートを聴かされることになった。正面のステージにはピアノが1台置かれていた。まもなく、ピアニストが3つの短い曲を弾くために、ピアノの前に座った。

1曲目は巨匠ヨハン・セバスチャン・バッハの作品にしてはあまり知られていない鍵盤曲だ。2曲目はその大学の音楽の教授スティーヴ・ラーソンが、バッハをまねて作った曲。3曲目はアルゴリズムがバッハの曲をそっくりまねて作った曲だった。

その3曲を聴いたあとに、観客はどれがどの曲なのかを当てることになった。

観客はラーソンが作った曲をコンピューターが作ったと回答し、ラーソン教授をがっかりさせた。また、観客が本物のバッハの曲だと答えたものは、実はコンピューターが作った曲で、それを知った観客は驚いた。

ラーソンはよほど悔しかったのか、次のように話した。

「バッハの曲に対して、深い尊敬の念を抱いている。コンピューターに人があれほど簡単にだまされてしまうとは、思ってもいなかった」

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