アルゴリズムが「バッハまねて作曲」意外な結果 そもそも「芸術」とは一体何か考える必要がある
芸術でアルゴリズムは使えるのか?
ジャスティン・ティンバーレイクはなぜ、大成功をおさめたのだろう?
彼が一流の歌手になったのは当然だと言う人もいるはずだ。天性の才能、恵まれた容姿、ダンスの能力、アーティスティックな曲があれば、有名になるのも当然だ、と。
だが、そうではないと言う人もいるだろう。ティンバーレイクにしろ、ほかのスーパースターにしろ、特別なものは何もない。歌も踊りもうまい人はいくらでもいる。スターになれたのは運がよかっただけだ、と。
ヒット曲、ヒット映画。みんなが好む作品を予測するのはむずかしい。そして、創作活動にアルゴリズムを用いようとすると、さらなる問題が浮上する。
アルゴリズムに芸術作品を作らせるにしろ、人が作った作品を評価させるにしろ、芸術でアルゴリズムを使うなら、質を測定する客観的な方法が必要だ。つまり「正解」を示すのだ。「いい」とはどんな意味なのかを定義できなければ、「いい」曲を作ったり、見つけだしたりするアルゴリズムは作れない。
だが、質に関する客観的な基準を探そうとすると、2000年以上議論され続けてきた問題──芸術の美的価値をどうやって判断するのか、という問題にぶつかることになる。
美に対する判断は、完全に主観的でもなければ、あくまで客観的でもない。感覚的で感情的で、なおかつ知的なもので、厄介なことに、見る者の心理状態によっても変化する。
興味深いのは、2007年にワシントンポストが行った実験だ。その実験では、国際的なバイオリニストのジョシュア・ベルに、コンサートを開いてもらった。
それは愛用の350万ドルのストラディバリウスのバイオリンを持って、通勤ラッシュのワシントンDCの地下鉄の駅で、床に帽子をさかさまにして置き、43分間演奏して、投げ銭を稼ぐというものだった。
「世界有数の音楽家が、史上最も価値のあるバイオリンで、何よりも気高いクラシック音楽を奏でた」のだ。
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