アルゴリズムが「バッハまねて作曲」意外な結果 そもそも「芸術」とは一体何か考える必要がある

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私たちの日常に組み込まれているアルゴリズム。芸術を生み出すことにも使えるのだろうか?(写真:metamorworks/PIXTA)
ネットショップの「おすすめ」、カスタマイズ広告、自動運転、AI医療……生活の隅々に潜んでいる「アルゴリズム」。だがわれわれはアルゴリズムのことをどのくらい知っているだろうか?
数学者にして人気作家、ハンナ・フライUCL准教授の新刊『アルゴリズムの時代 機械が決定する世界をどう生きるか』から、芸術と機械の関係を例に、コンピューターと人間の共存の問題について、一部編集して紹介する。アルゴリズムに芸術はつくれるのだろうか?

芸術でアルゴリズムは使えるのか?

ジャスティン・ティンバーレイクはなぜ、大成功をおさめたのだろう? 

彼が一流の歌手になったのは当然だと言う人もいるはずだ。天性の才能、恵まれた容姿、ダンスの能力、アーティスティックな曲があれば、有名になるのも当然だ、と。

だが、そうではないと言う人もいるだろう。ティンバーレイクにしろ、ほかのスーパースターにしろ、特別なものは何もない。歌も踊りもうまい人はいくらでもいる。スターになれたのは運がよかっただけだ、と。

ヒット曲、ヒット映画。みんなが好む作品を予測するのはむずかしい。そして、創作活動にアルゴリズムを用いようとすると、さらなる問題が浮上する。

アルゴリズムに芸術作品を作らせるにしろ、人が作った作品を評価させるにしろ、芸術でアルゴリズムを使うなら、質を測定する客観的な方法が必要だ。つまり「正解」を示すのだ。「いい」とはどんな意味なのかを定義できなければ、「いい」曲を作ったり、見つけだしたりするアルゴリズムは作れない。

だが、質に関する客観的な基準を探そうとすると、2000年以上議論され続けてきた問題──芸術の美的価値をどうやって判断するのか、という問題にぶつかることになる。

美に対する判断は、完全に主観的でもなければ、あくまで客観的でもない。感覚的で感情的で、なおかつ知的なもので、厄介なことに、見る者の心理状態によっても変化する。

興味深いのは、2007年にワシントンポストが行った実験だ。その実験では、国際的なバイオリニストのジョシュア・ベルに、コンサートを開いてもらった。

それは愛用の350万ドルのストラディバリウスのバイオリンを持って、通勤ラッシュのワシントンDCの地下鉄の駅で、床に帽子をさかさまにして置き、43分間演奏して、投げ銭を稼ぐというものだった。

「世界有数の音楽家が、史上最も価値のあるバイオリンで、何よりも気高いクラシック音楽を奏でた」のだ。

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