アルゴリズムが「バッハまねて作曲」意外な結果 そもそも「芸術」とは一体何か考える必要がある
作曲するコンピューターのアルゴリズムを作ったデイヴィッド・コープはこう話した。
「私が初めてこの問題を出したとき、みんなは間違えて、怒りだした。そもそも私がそんなことを考えたのが許せなかったんだ。芸術活動は人間だけのものだと思いこんでいた」
しかし、多くの人にコンピューターの音楽とバッハが作った曲の区別がつかないのなら、そのアルゴリズムは真の想像力を会得したことになるのだろうか?
どのように作曲したのか?
このアルゴリズムはどのように機能しているのか。コープが説明してくれた。最初のステップは、バッハの曲を機械が理解できるものに変換することだ。
「ひとつの音を5つに分解してデータベースにおさめる。タイミング、継続時間、音の高さ、音の大きさ、楽器の5つだ」
バッハの合唱曲371曲に使われている音すべてに対して、コープはその5つを手動でコンピューターに入力した。
次に、あらゆるリズムを分析し、それがどうつながっていくのかを研究した。すべての音符と、それに続く音を記録し、その結果を辞書のように1つにまとめた。
最終ステップはアルゴリズムに自由を与えることだ。コープは最初の音を入力し、アルゴリズムに辞書でその音を調べさせ、曲をどう展開させるかを決めさせる。リストの中から新たなコードを無作為に選ばせるのだ。その作業を繰り返していくと、バッハと同じ形式だが、完全にオリジナルの曲ができあがる。
あるいは、それこそがバッハの曲なのかもしれない。いずれにしても、コープはそう考えている。
ひとつだけ確かなことは、その音楽がどれほど美しくても、それはあくまでも既存の曲を組み替えたものであることだ。作曲というより、バッハの曲の中にあるパターンをまねたのだ。
言っておくが、そういったアルゴリズムをおとしめるつもりはさらさらない。人間が作った音楽の大半も、斬新でクリエーティブなわけではないのだから。
人間が創りあげるものの多くは、「作曲」するアルゴリズムの作品と同じように、すでに存在しているアイデアを組み合わせただけという意見があるのも間違いない。
コープは創造力をかなりシンプルに捉えている。それはアルゴリズムにできることを簡潔に言い表している。
「創造力とは、一見無関係に見える2つの事柄に関連を見いだすことだ」
そうなのかもしれない。だが、私はアルゴリズムが創造活動を行なっているとしても、物足りなさを感じずにいられない。どんなに好意的に解釈しようとしても、機械が生み出したものを芸術と認めると、文化的に貧しい物の見方しかできなくなる気がしてならない。
アルゴリズムが芸術を生み出すことに関して釈然としないのは、もう1つの問題のせいでもある。問題は、そもそも芸術とは何かということだ。
私は数学者なので、誤検知とか、精度と統計に関する真実といったことなら、自信を持って話ができる。けれど、芸術に関してはロシアの文豪レフ・トルストイの見解と一緒だ。本物の芸術はやはり人間とのつながりの中にあると思う。感情の表現だ。
「芸術は小手先の細工ではなく、芸術家が体験した感情の伝達である」とトルストイは言った。
アルゴリズムができることには限界がある。すべてを数字で表わすのは不可能だ。データと統計によってわかることは数限りなくあるが、人が抱く感情はそこには含まれない。
(翻訳:森嶋マリ)
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