個人の中にも、エゴイスティックな欲得と、他者を思いやる気持ちが共存しています。大切なのは、欲得があまりに強くならないようにするための抑制であり、競争があまりに過酷にならないようにする配慮なのです。つまり、病んだ部分とどのようにして付き合っていくのかということが、現実的には求められているわけです。
自己責任、市場原理主義、フリートレードといったグローバリズムの価値観は、そういったあたりまえのバランス感覚、現実感覚を毀損することになるだろうと思いますね。
経済成長という言葉にしがみついている
――日本は、どの程度までこの「病」に侵されているとお考えですか?
総需要が減退し、人口減少が始まり、経済が停滞している現在の日本は、発展途上段階から成熟段階へと新しいフェーズに入ったことを示しています。ですから、これまでのような経済成長戦略を続けることは無理筋なのです。成熟段階においてもなお経済成長させようとするならば、ビジネス現場においては利潤の大きなところに選択と集中を進めること、福祉や公的医療費などを削減して社会的コストを下げること、金融空間に新たな儲けのフロンティアを見出すこと、積極財政でミニバブルを誘発することなどが行われることになります。アベノミクスそのものですね。その結果、中小零細企業は統合されるか、廃業に追い込まれ、貧富格差は拡大することになるでしょう。実際にその兆候は数字にも表れてきています。
たとえば、日本の家業は衰退の一途を辿っており、イギリス、フランス、とりわけドイツが家業を復活させているのと対照的な傾向を示しています。小商いが継続し続けることは、多様なビジネスが存続するための重要な要件であり、ビジネスの多様性は日本経済にとっても、大きなリスクヘッジになるはずなのに、つぶれるべきビジネスはつぶして、強い分野にリソースを集中しようとしています。
成熟した先進工業国にとっては、経済成長なしでもやっていけるシステムを模索することは大切なことのはずですが、多くの人々は、現実や自分の経験を直視するよりも、経済成長という言葉にしがみついているように思えるのです。
――この「病」には処方箋があるのでしょうか?
現実の世界は、往々にしてわたしたちが意思することとは違うことを実現してしまうものです。人間の世界は、一つの処方箋で理想的な世界が実現するようにはできていないのです。経済成長戦略や、市場原理主義というものも、そうしたリニアな世界観が作り出した見せかけの処方箋です。わたしたちは、自分たちが生き延びて行くために何をすればよいかという簡潔で明瞭な答えを見出すことはできないと考えるべきです。
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