狭い家に引っ越したら「町のアイドル」になった訳 周りに壁を作ってきた私が突然「いい人」に

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今の私は、声を大にして言いたい。これはとんでもなくでかい勘違いであった。なぜなら、周囲と差をつけるどころか周囲におすがりして初めて生き延びられるという状況に陥り、周囲に気を遣い心を遣い……ということを始めた途端、わが人生にどどどっと幸せがなだれ込んできたのだ。

そう今や私、めちゃくちゃ近所の人に愛されているのです。

馴染みの店に行けば、このうえない笑顔でサービスしてくれるのはもちろん、なんだかんだオマケをいただくのは当たり前。

それだけじゃない。近所を自転車で移動していると、顔見知りになったおっちゃんおばちゃんたちが「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」と次々に手を振って挨拶してくれる。行ってらっしゃい? そんなセリフ、実家にいた頃に今は亡き母親から言われて以来聞いたこともないよ。

さらには家に帰ると郵便受けに、銭湯仲間や、親しくなったオトナリさんからの「おすそ分け」がしょっちゅう入っている。買いすぎちゃったから、たくさん作ったから……と、野菜やらカレーやら煮物やらが入っていたりするのであります。

いや……これはまさしく「町がわが家」ではないか。私は50代独身一人ぼっちで暮らす身ではありますが、それは世を忍ぶ仮の姿でありまして、実はあまりにも大きな家で、大家族に囲まれて生きているのだよ本当に。私は間違いなく愛されている。家族に愛されているんである。もうほとんど町のアイドルと言ってもいい気もする。

お金や物に頼らなくても幸せになれる方法

いやね、こんなことになろうとは、だ。

私は今まで一体何をやってきたのだろう。

必死に努力して、競争し、金を稼ぎ、それを使って優雅な生活をしたいと思っていたのは、突き詰めて言えば、人様に自分を認めてほしいと思っていたのだと思う。ずっとずっと、一目置かれる自分になりたかった。

でも頑張ってそれが実現したのかと問われれば、なんだか微妙であった。何しろ上には上がいて、どこまで行っても認められたような、認められていないような。そして何よりも、いつかお金や仕事を失ってしまえば誰にも相手にされなくなるという恐怖から逃れることができなかった。

でも、そういうことじゃなかったんだ。

人を認めれば、自分も認めてもらえる。人を褒めれば自分も褒めてもらえるし、人の幸せを願えば自分の幸せも願ってもらえるのである。

それを教えてくれたのは、この小さな家だった。何も入らない、何も抱え込むことのできない、自分一人では暮らしを完結することもできず、人に頼らねば暮らしていけない家だった。そのおかげで、私はお金や物になんぞ頼らずとも幸せになれるテッパンの方法を知ることができたのである。

稲垣 えみ子 フリーランサー

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いながき えみこ / Emiko Inagaki

1965年生まれ。一橋大を卒業後、朝日新聞社に入社し、大阪社会部、週刊朝日編集部などを経て論説委員、編集委員をつとめる。東日本大震災を機に始めた超節電生活などを綴ったアフロヘアーの写真入りコラムが注目を集め、「報道ステーション」「情熱大陸」などのテレビ番組に出演するが、2016年に50歳で退社。以後は築50年のワンルームマンションで、夫なし・冷蔵庫なし・定職なしの「楽しく閉じていく人生」を追求中。著書に『魂の退社』『人生はどこでもドア』(以上、東洋経済新報社)「もうレシピ本はいらない」(マガジンハウス)など。

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