狭い家に引っ越したら「町のアイドル」になった訳 周りに壁を作ってきた私が突然「いい人」に

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朝起きると、部屋の窓からわが町(わが家)が見渡せる。向かいの米屋のおっちゃんがシャッターをガラガラと開け、その隣の古い家のおばあさんは家の前の道路を掃除している。早朝の散歩をしている人もいる。それを眺めながら、ふと気づけば「皆様の幸せ」を願っている私がいる。

何しろ、何も持たない私の暮らしが成り立っているのは、わが冷蔵庫(ミニスーパー、八百屋)、風呂(銭湯)、料理人(豆腐屋)、書斎(カフェ)などの方々が元気に営業を続けて下さっているからである。

顔見知りになった店主たちの顔が浮かぶ。皆様今日も健やかに過ごされますようにと心から思う。皆様の幸せがわが幸せである。考えてみれば店の人だけじゃない。「町がわが家」ということは、町の人はわが家族なのだ。家族が不幸だったりいがみあっていたりしたらわが生活は確実に損なわれる。

ならばどこぞの政治家の標語じゃないが、私が目指すべきは「みんなが笑顔で暮らすまち」を作ることなんじゃないか? みんなが良くなれば自分も良くなるのだ。

「他人より上であることが自分の幸せ」からの決別

そう思ったら、次第にわが行動はどこまでもエスカレートした。

店の人だけじゃなく、近所の公園で見かける老人ホームのお年寄り、カフェの常連仲間、宅配便のお兄さん、道路工事の交通整理をするおじさんなど、ちょっとした顔見知りはもちろん、果てはただ一瞬すれ違って目があった人にまでにっこりと最高の笑顔で「こんにちは~」と挨拶をするという、実に感心な若者……いや間違えた、実に感心なオバサンとなったのである。

挙句、今では「幸せそうな人」をただ見るだけで幸せを感じる。仲のいいカップルが楽しそうにおしゃべりしていたり、中学生が元気に野球をしていたり、頑張っておしゃれをしている女の子が得意げに町を歩いているのを見るだけで、心から「よかったよかった」とニッコリせずにはいられない。こうなってくるとほとんどホトケの域ではないか。

自分でもびっくりだ。

改めて振り返れば、過去の私の行動はこれとはまったく逆であった。生まれてこのかたずっと、他人に差をつけ、他人より上であることが自分の幸せと信じて生きてきた。

そのためにより広い家に住み、より多くの充実した設備を揃え、より多くの服だの食器だの化粧品だのを抱え込んで生きてきた。お金をつぎ込んでわが家を完璧な要塞のように整え、周囲との間に高い壁を築いて生きてきた。周囲との間に差がつけばつくほど豊かなのだと思ってきた。

でも本当にそうだったんだろうか。

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