私自身もスミスがESPNをクビになる必要はないと思うが、これでこの問題が片付けられてしまうのは非常にもったいない。ここで必要なのは、今回の件を受けて私たちが何を学べるか、である。
まず私たちが学べることは、言葉には「毒」があるということだ。言論の自由は民主主義にとって重要であり、破ってはならないが、目的にかかわらず、言論はいい結果となることもあれば、酷(ひど)い結果となることもあると認識しておかなければならない。
話し手が、自分が望むように話すのは自由だが、節度ある範囲内で、話した内容に毒があるかどうか、責任を持つべきである。言葉は公民権付与の前提条件であるべきだと提案することは、問題があるとしか言いようがない。アメリカでは、黒人や貧しい白人に対してさえ、投票権を与えないために言葉が利用された時代があった。差別を助長することは、遠回しであっても、危険である。
母国語が話せない外国人が害を及ぼす?
ヘイトスピーチは、乱暴かつ明白に伝わってしまう可能性があり、こうした発言は頭蓋骨を殴る野球用バットのような鈍器に等しい。発言が夏のそよ風のように穏やかに伝えられても、事態を悪化させるだけで、その後に来る台風のように害になることがある。どのような形であれ、私たちは毒のある言葉に気を付けなければならない。
今回のように「外国人が母国語を話さないから害を及ぼす」と示唆することは、外国人に恐怖を植え付ける、あるいは外国人の権利を奪い軽んじる明らかな試みだ。移民であり、日本語が母国語ではない私自身、この問題は厄介なレトリックであることがわかった。
もう1つ学べることがあるとすれば、この地球上のすべての人と同じように、黒人の信念は私たちの肌の色と同じくらい多様だということだ。だが、黒人の経験を持つ私たちには、どれだけ成功しようと、社会的な地位を獲得しようと、安全な場所に身を置けるようになろうと、アメリカにおける従来の考え方や価値観を共有できる贅沢はない。なぜならアメリカには人種差別的な構造に基づいた「カースト制度」が残っており、従来の価値観はどうしても人種差別的な偏りがあるからだ。
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