20系統のバスには、若者を含めて数人ながらも利用客があった。1時間に1本程度は走る生活路線だが、彼らの目的は震災遺構として公開されている旧荒浜小学校の見学だ。ここは倒壊も免れ、児童や教職員、地域住民など320人の命を守ったところ。東京あたりではもう薄れたかもしれない震災への意識は、地元では10年経っても忘れていない。
T18系統も、海岸に近い岡田地区などをひと回りする。途中で宮城野区に入るが、地形的には引き続き平坦な田園地帯だ。津波への備え、「避難タワー」が随所で見られる。利用客はほとんどおらず、バスはむなしく左右へハンドルを切り、私にだけ次のバス停の案内を流す。この付近に仙台市交通局の岡田出張所があり、被災するまでバス運行の拠点となっていた歴史を知ったのは、帰宅してからだった。
フェリー埠頭経由は運休中
七北田川を渡ると工業地帯に入り、12時06分に陸前高砂駅着。そのまま12時23分発の仙石線で、多賀城へ移動した。中野栄―多賀城間で多賀城市に入る。多賀城の手前で途中で交差する鉄道は、貨物専業の仙台臨海鉄道だ。拠点駅の仙台港は、フェリー埠頭に近い。
なお、先述の荒井駅発着のミヤコーバスは、もともと土休日のみ運転だが、現在は新型コロナウイルス感染症流行により運休中。より海に近い仙台うみの杜水族館、仙台港フェリー埠頭を経由し多賀城駅まで走り、名古屋―仙台―苫小牧間の太平洋フェリーと接続していた。コロナ禍が落ち着いたら、このバス系統に乗って仙台臨海鉄道沿線を歩き、フェリーへ乗り継いで利用してみたい。
仙台港地区は宿題として、次いで七ヶ浜町方面へ向かおうと考えた。12時28分に多賀城へ着くと、12時33分発のミヤコーバス菖蒲田行きが客待ちしていた。急ぎ、案内を眺めると、七ヶ浜町民バス「ぐるりんこ」も市町境を越えて多賀城駅前まで来ているようだが、先に進んでおくにしかずと乗り込む。
七ヶ浜町は日本三景の1つ、松島の南側の半島にある。東北地方の市町村の中で、面積では最小の町だが、人口は1万7000人あまりある。松島の続きのような複雑な形の丘陵が中央部にあり、その周囲を平坦な浜が囲んでいる地形だ。その丘陵地にあるのが七ヶ浜ニュータウン汐見台。1980年から入居が始まった歴史がある。そうした高台の住宅地と多賀城駅を結ぶアクセスとして、町民バスのみならず、民営の路線バスが生き残っているのだ。汐見台団地線と称し、1〜2時間に1本程度の運転本数がある。
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