また理想を達成するための道筋を描く必要もあった。もし「安心安全」が道筋の中で重要であれば、その達成要件をある程度定量的に示し、十分に説明して実行していれば人々の納得感は高まっただろう。そして関係者がオリンピック憲章に書かれていることの現代的な意味を深く考え、体現できていれば、異なる受け入れられ方がされたかもしれない。
これから始まるデジタル庁にこの3つの指摘を当てはめてみよう。理想を理論と思想によって支えられるだろうか。理想に至るための道筋を描けるだろうか。そしてデジタル庁は答えに生きることができるだろうか。
デジタル庁の理想とは?
デジタル庁の理想は「1人ひとりのニーズに合ったサービスを選ぶことができ、多様な幸せが実現できる社会」である。この理想の社会像を鮮やかに語り、その理想を支える理論的・思想的な基盤を説明すること、そしてそれを達成するための道筋を説得的に語る必要があるだろう。さらにデジタル庁は答えを生きることが求められる。つまりデジタル技術を活かして生産性を高め、プロセスの透明化を行い、データを用いた政策を立案するといった理想的な行政を庁内で体現しなければならない。
そのためには、旧態依然としたガバナンスの刷新も必要かもしれない。周りから「なぜデジタル庁だけが優遇されるのか」という圧力も生まれるだろう。とても難しいことに違いないが、それを「難しい」と諦め、周りのやり方に合わせるのではなく、一歩でも先を行く姿を見せてほしい。デジタル庁が理想を体現することで、その優れたやり方が民間企業や他省庁にも伝わり、新たなデマンドも生まれてくるはずだ。
かつて第2次世界大戦後に日本は欧米という理想を夢見て、長足の進歩を遂げた。「デジタル敗戦」の後、デジタル庁の設立を前に、私たちの目の前には多数の反省材料が用意されている。この機会を「理想を掲げ、新たなデマンドを作り出す」力へとつなげる好機として捉えたい。
(馬田隆明/アジア・パシフィック・イニシアティブ上席客員研究員、東京大学FoundX ディレクター)
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