「泥縄」にならざるをえない背景
「泥縄だったけど、結果オーライだった」。筆者もかかわった新型コロナ対応民間臨時調査会(コロナ民間臨調)の結論では官邸スタッフの言葉として、この言葉を引用した。その意図は、結果オーライだったから万事問題なしとするのではなく、「場当たり的な判断には再現性が保証されず、常に危うさが伴う」という点に警鐘を鳴らすことであった。
にもかかわらず、ワクチンをめぐるガバナンスにおいても「泥縄式」危機管理を繰り返し、場当たり的な対応に終始した。もちろん、ワクチン開発などは一夜にしてできるものではなく、「泥縄式」で対応できるものではない。しかし、ワクチンの承認、調達、接種などで場当たり的な対応が繰り返された。われわれはまた過去の危機に学ぶことを怠ったのであろうか。
「泥縄」とは泥棒を見てから縛るための縄をなうことを意味するが、そうならないためには最初から縄をなっておけば良い。しかし、日本にはパンデミックが起きたときのために用意しておいた縄(ワクチン生産能力)はなかった。


















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