ただ、職域接種は申請件数が想定よりも多かったことで供給体制が限界に達してしまい、ワクチン不足が起きるといった「成功しすぎた結果の問題」を抱えることとなった。
しかしながら、ワクチン接種の加速化の限界となっているのが「打ち手」の不足である。医師法では注射をすることができるのは医師や看護師に限られ、地方の医師会が協力的な自治体では接種が進む一方、すべての自治体で「打ち手」が揃う状況にはない。2021年の「骨太の方針」でワクチン接種体制を強化するための法的措置を検討する、とされているが、これが医師法の改訂につながるかどうか継続して見ていく必要がある。
「結果オーライ」だったのか
コロナ民間臨調が指摘した場当たり的な「泥縄式」の対応は、結局、パンデミック対策の切り札であるワクチンをめぐる問題でも、残念ながら繰り返された。その一因は皮肉なことに「結果オーライ」であったがゆえに、感染が桁違いに多かった欧米諸国よりもワクチンの必要性に対する意識が薄かったことにある。これは日本だけでなく比較的感染抑制に成功していた東アジア・東南アジア諸国にも共通する問題である。
しかし、日本では過去の危機管理でも「泥縄式」の対応が繰り返され、「備えのなさ」は何度も指摘されているにもかかわらず、相変わらず同じことを繰り返している。もちろん危機のすべてに備えることは困難であり、「泥縄」にならざるをえない側面はある。また、河野大臣の任命や自衛隊による大規模接種など、うまくいった「泥縄」もある。ただ、コロナ民間臨調で「学ぶことを学ぶ責任が、私たちにはある」と結んだが、その警告は顧みられず、学ぶ責任を果たしてこなかった罪は大きい。
ワクチンの接種は順調に進んでいるかのように見える。菅首相は「1日100万回」を目標にし、それは達成されている。しかし、日本に住む成人に2回接種するためには2億回の接種が必要であり、1日100万回であっても200日かかる。もし菅内閣の目標が「安心・安全な五輪の開催」であるとすれば、このペースであっても開会式どころか閉会式までに半数の接種がやっとである。
もし五輪開催を最優先課題とするなら、「泥縄式」の対応ではなく、アメリカがワープスピード作戦(OWS)を開始してワクチン開発に邁進したとき、2020年7月にファイザー社と「基本合意」ができたとき、2020年12月に欧米諸国がワクチンを承認したときに、なぜ日本もワクチン接種に向けて準備ができなかったのか。
さまざまなチャンスがあったにもかかわらず、政府も野党も厚労省も国民もパンデミックを収束させるための最適な選択をしてこなかった。特に政府には「安心・安全な五輪」を開催するために必要なことを整理し、情報を共有し、目標に到達するための戦略もなければ、それを指揮する司令塔もなかった。「泥縄式」の対応では、国家が求める結果を得ることはできず、「結果オーライ」とはならないということを、今度こそ学ぶ責任があるだろう。
(鈴木一人/東京大学公共政策大学院教授、アジア・パシフィック・イニシアティブ上席研究員)
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