そして「BIG BOX」にも、この街で学生時代を過ごした人や馬場にゆかりのある人には懐かしい記憶があるはず。
ビルの設計者は、意外にも、メタボリズム建築の傑作「中銀カプセルタワー」(72年築)や「国立新美術館」(2006年築)などの作品のある黒川紀章だ。創建時には前面に「走る人」の巨大な絵が描かれ、窓のない“箱”のような外観も斬新だった。
BIG BOXは74年に、西武スポーツプラザとしてオープンし、当時はまだめずらしかったアスレティック・スポーツクラブ、フィンランド・サウナ、スイミングプールやビリヤード場、ボウリング場などのあるデラックスなスポーツの殿堂だった。
2007年に建物全体の大リニューアルが行われたこともあり、館内には創建時の名残は見当たらないが、ボウリング場、フィットネスクラブなどは、形を変えながら今も営業中。カラオケやゲームセンターもあり、学生や若者たちの遊び場、集い場として賑わっている。
再開発が「同時多発」の理由
現在再開発中のものも含め、高田馬場駅前のビルは、その大半が、地権者である商店主たちが集まって建てた共同ビルだ。
60年代から70年代前半と言えば日本の高度経済成長期。当時、山手線駅前の商業地域の新築・建て替えは、鉄筋コンクリートの防火建築にすることが法律で義務づけられていた。
そんな時代の流れで、地権者たちが共同で、当時としては大規模なテナントビルを建てた結果、今まで平屋かせいぜい二階建ての木造建築が並んでいた高田馬場駅前は、70年代には、現在のような街並みになった。そして、それから約50年経った今、一気にビルの更新時期がやってきたということなのだろう。
そして、近年、都心および全国で、続々と高度経済成長期に建設された“シブいビル”が次々に再開発されるようになったのは、2013年に、耐震改修促進法が施行されたという事情も働いている。これにより、不特定多数の人が利用したり、避難時に配慮が必要な人が利用する大規模な建築物には耐震診断とその結果の公表が義務づけられた。
これにより、建物を耐震改修するか、解体して再開発するかという二者択一を迫られたビルも数多く存在するはずだ。
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