先憂後楽というわな。つまり、憂いを先にして楽しみを後にするということやろ。社員が五人だろうが、三人だろうが、経営者の立場に立つ人はね、この先憂後楽という考え方を多少とも持っていないと絶対ダメやな。さらに言えば、そのことをどの程度に活かしているかということを考えんといかんな。身で行うことが大切やけどね、身で行わなくとも心でしておるとかね。心身ともにそうであることにこしたことはないけどな。
およそ経営者たるものは、人とともに憂い、人とともに楽しむということではあかんな。人よりも先に憂い、人よりも後に楽しむということでないとな。そういう考え方、そういう思いというか志やな、それが多少なりともなければ、経営者にはなれんな。
それは人が遊んでいても、自分は常に働いているとか、遊んでいるようでも頭はつねに働いているとか、ものを見てもホッと仕事のことを考える、思いつくとかね。そういうことは、先憂後楽の志があれば、そうなるわけや。一つの遊びをやっとっても、フッと思いつくことがあるわな。
きみ、信長な、織田信長やね。信長は、酒宴の席で酒を呑んでいても、かたときも、隣国のこと、敵国のことを頭から離す、忘れるということはなかったやろうね。
“あの人は、心を許して遊んでいる”と、よう言うけどな。仮にまったく心を許して遊ぶような人がいるならば、そういう人は経営者にはなれんわ。経営者は、心を許して遊んだらいかん。きみ、よう覚えておけや。
松下のこの言葉は、私の胸に強烈に残った。それから二年後、松下は私に、PHP総合研究所の経営を、実質担当するように指示した。
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