夏目漱石も唱えていた「自粛する日本人」への異論 今の政治と照らし合わせて考えたい言葉たち
磯田光一(いそだ・こういち/1931‐1987/文芸評論家)
天皇が西にいて、権力の中心だけは東に来てしまったとき、〝神話〞と〝実権〞との緊張関係を最も象徴的に描こうとすれば、西を上方にしながら、〝御城〞だけは京都に足を向けて聳え立っていなければならない。そして明治維新とは、尊皇攘夷の開国和親への転換という形を通じて、江戸地図の神話を崩壊に導いたのである。<『思想としての東京』(講談社文芸文庫、1990年)>
磯田光一は、江戸時代の江戸地図の大半が京都のある西を上としながら、江戸城を意味する「御城」の文字がさかさまに描かれていることに注目し、ここに権力を握った幕府(公儀)ないし将軍と権威を保った朝廷(禁裏)ないし天皇の関係が象徴されていると見た。
しかし慶応4(1868)年7月17日に江戸が東京に改称されると、江戸地図もしだいに近代的な地図へと変化し、「御城」は天皇の居所となる。地図という非文字資料を通して、権力と権威が東京の天皇に集中したことがわかるとしたのである。
ヒトラーが語ったナチス躍進の原動力
アドルフ・ヒトラー(1889‐1945/ドイツの政治家、ドイツの首相、総統、ナチス指導者)
人を説得しうるのは、書かれたことばによるよりも、話されたことばによるものであり、この世の偉大な運動はいずれも、偉大な文筆家にでなく、偉大な演説家にその進展のおかげをこうむっている、ということをわたしは知っている。<『わが闘争』上(平野一郎、将積茂訳、角川文庫、2001年)>
1924年4月、ミュンヘン一揆で有罪判決を受けたヒトラーは、獄中で『わが闘争』の執筆を始め、25年7月18日に第1巻を刊行した。引用したのは冒頭に掲げられた序言の一節。後にナチスを大きく飛躍させることになる原動力について語っている。話し言葉を重視するのは、ソクラテス以来の西洋の伝統でもある。しばしば「ファシズム体制」として一括されながら、45年の玉音放送まで大多数の国民が天皇の肉声を聞いたことすらなかった昭和初期の日本との違いは明らかだろう。
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