夏目漱石も唱えていた「自粛する日本人」への異論

今の政治と照らし合わせて考えたい言葉たち

7月19日
藤原長子(ふじわらの・ながこ/承暦3(1079)‐没年不詳/堀河天皇の典侍)

…おまへより、同じ局に我がかたざまにてさぶらひつる人のうちきて、いみじう物もいはずなく。見るに、いとゞ其の事ときかぬに、なきふさるゝ心ちぞする。しばしためらひていふやう、「あな心うや。たゞ今神璽宝剣の渡らせ給ふとてのゝしりさぶらふぞ。(中略)」といふに、かなしさぞたへがたき。<岩佐美代子『讃岐典侍日記全注釈』(笠間書院、2012年)>

「かたざま」は縁故、「いとゞ」はいよいよ、「なき」は泣き、「のゝしり」はわめき。嘉承2(1107)年7月19日、堀河天皇が満28歳で死去した。典侍(ないしのすけ)として仕えていた藤原長子は、その様子を日記に記している。平安時代の天皇は譲位して上皇になることが多かったが、堀河は結局在位したまま死去した。すると天皇の意思と関わりなく、皇位のしるしである宝剣と神璽が新しい天皇(鳥羽天皇)に引き継がれた。長子はその非情さに耐えられなかったのだ。この習慣は、昭和天皇が死去した1989年1月7日に行われた「剣璽等承継の儀」にまで受け継がれている。

7月20日
夏目漱石(なつめ・そうせき/慶応3(1867)‐1916/作家)

川開きの催し差留られたり。天子いまだ崩ぜず。川開を禁ずるの必要なし。細民これがために困るもの多からん。当局者の没常識驚ろくべし。演劇その他の興行もの停止とか停止せぬとかにて騒ぐ有様也。天子の病は万臣の同情に価す。然れども万民の営業直接天子の病気に害を与へざる限りは進行して然るべし。<三好行雄編『漱石文明論集』(ワイド版岩波文庫、2005年)>

1912(明治45)年7月20日、夏目漱石は明治天皇の重体を知らせる号外を受け取った。これに伴い、毎年恒例の隅田川の川開きが中止された。演劇などの興行も中止すべきか否かで大騒ぎしている。こうした事態に対して、漱石は怒りをぶちまけている。いわゆる「自粛」の空気が広がることに対する怒りである。しかしこれよりももっと大規模な「自粛」が、76
年後の昭和天皇の重体の際には広がった。天皇が「神」から「人間」に変わっても、タブーはますます増幅されたのだ。

照宮成子が記した全盛期の炭鉱労働者

7月21日
照宮成子(てるのみや・しげこ/1925‐1961/昭和天皇の第一皇女)
『一日一考 日本の政治』(河出書房新社)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

この炭鉱の奥深くで、来る日も来る日も働き続け、世間から忘れ去られ、そして人知れず死に行く運命をもった人々の前に立った時、護衛の警官や大ぜいのお伴をひきつれている自分の姿に、いたたまれぬ申しわけなさを感じた……<酒井美意子『ある華族の昭和史 上流社会の明暗を見た女の記録』(主婦と生活社、1982年)>

女子学習院中等科に通っていた照宮成子は、クラスメートとともに毎日「反省録」を書いて担任の教官に出していた。1942(昭和17)年7月17日から30日まで、照宮は北海道を旅行した。「遊楽旅行廃止」が叫ばれる非常時にわざわざ出かけた目的の一つが、夕張の炭鉱視察だった。初めて炭鉱労働者を目のあたりにしたとき、「護衛の警官や大ぜいのお伴をひきつれている」自らの境遇とのあまりの落差に衝撃を受け、その衝撃を反省録に記した。

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