2013年がんで逝った男がネットに刻み付けた言葉 没後8年、永久保存を望んだサイトは3年で消えた

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そうして約8年が過ぎたこのブログからは、単なる放置サイトや故人のサイトにはない、独特な孤独感が漂ってくる。

コメント欄や「いいね!」などのリアクション装置がなく、読者からの反応がいっさい見えないことが雰囲気にくみしているのは確実だ。そのまま何年も時間が経過している事実も、置き去りにされた感じを強めていよう。ただ、それらの特徴を備えた故人のサイトはほかにもいくつもある。

隔絶が生み出す独特な孤独感

もう少し踏み込んで調べてみると、状況が思惑どおりにいっていないという面もみえてくる。「数日後には削除」するはずのこのブログは8年近く経った現在も残っていて、「永久保存」を望んだ「女子アナデータベース」のリンク先は消失している。

書き手の計画と希望がいずれも実現していない。それに読者は簡単に気づけて、2021年を生きていないであろう筆者は知らない。にもかかわらず、誰にもケアされていない──。この隔絶がより一層、孤独を強めているところがあるだろう。

ただ、まだ別の理由もありそうだ。消失した「永久保存サイト」をアーカイブサービスでたどれば見えてくるかもしれない。アーカイブなら時系列で書き手の歩みがつかめる。

リンク先ページの歴史は2003年4月までさかのぼれる。最初は『小田和 朗の「こだわりま笑!」』というタイトルだったようだ。当時流行していたテキストサイトを意識した作りで、オリジナルのコラムや笑い話をどんどん追加していくスタイルで更新していた様子がうかがえる。

2003年7月頃の「小田和 朗の『こだわりま笑!』」(Internet Archiveより)

初期のコラムは「リホームって?」「営業者の社名ロゴはどうして右書き?」「爆笑! パチンコ攻略法」など、とくに方向性は気にせず気の向くままに書いているふうだった。そのなかには「女子アナって、そんなに凄い?」「女子アナって、ただ読むだけの人?」といったのちに続くコラムも含まれている。

ネタ勝負のコンセプトゆえか、書き手のパーソナリティーを伝えることには積極的ではなかったらしい。はじめからプロフィール欄はなく、自己紹介的な記事もなかったが、コラムや掲示板の書き込みから人物像が断片的に浮かび上がってくる。

書き手は小田和朗(こだわろう)というハンドルネームの男性。大学進学を機に福岡から上京し、そのまま東京で就職。結婚して家庭を築き、1990年ごろに多摩地区にマイホームを購入したという。その頃の子供の年齢から、サイトを始めた時点で40代だったのではないかと思われる。海外出張や海外旅行でしばしば海を渡っており、はた目からは暮らしぶりは充実しているように映る。

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