不登校の僕を救った母の「好きにしなさい」の一言 俳優・ゆうたろうさんが振り返って語る
――不登校になってからは、どのようにすごされていましたか?
家にずっと居ましたね(笑)。外出は月に1回くらいしかしませんでした。家族以外とは関わりもなく、自分を認めてくれるような居場所がほかになかったわけですから、どこか外の世界が怖くなっていたと思います。自分のことがきらいだったので外出するときは、顔が見えないようにマスクをかならずつけていました。服装も、夏でも長袖を着たり帽子を深く被ったりするなどして、できるだけ自分の存在を隠すようにしていました。
そんな僕にとって救いは、SNSでした。当時から古着に興味があったので、ツイッターで自分好みの服装をしている人をフォローして、チェックするのが楽しみでした。また、そこでつながった友だちとツイッターやLINEでやりとりもしていました。SNSであれば日常と距離を置いて、いろんな世界とつながることができるから、僕にとってネットは、大事なコミュニティのひとつだったんです。
――当時の家族の反応はどうでしたか?
昔から家族とは仲がよいのですが、不登校になったころは、父や姉妹と揉めたこともありました。当時の僕は学校とも自分とも向き合いたくなかったので、「僕のことをわかってくれないんだな」と父のことを敵対視したこともありました。
逆に、母はよい意味で放任主義だったので、母から学校や将来の話題をふってくることはありませんでした。学校へ行っても行かなくても変わらない距離感で居てくれていることが、すごく居心地がよかったです。
「あなたはあなた」母の言葉、救いに
中2の夏ごろに相変わらず家に居る僕に対して、母が「私はあなたのことを信じているし、あなたが学校へ行っても行かなくても、あなたの人生だからその選択は、まちがっていないと思う。あなたはあなたなんだから、好きにしなさい」と言ってくれたんです。今まで不登校に対してとくに何も言わなかった母が、自分を大切にしてよいことを伝えてくれたおかげで、僕のなかにあった迷いや苦しみが解け、気持ちが楽になりました。
――その後ゆうたろうさんは進路選びで、高校に進学しないことを決めたそうですが、なぜですか?
中学校の担任からは通信制高校を勧められたんですけど、「家でも勉強はできるし、高卒認定試験だってあるから、無理しなくてよいかな」と思いました。
それより、どこでもよいから働きたいと考えていました。月に数万円でよいからアルバイトで稼いで、自分の好きなことに使うほうが魅力的に思えたんです。それにどこかで自分の殻を破りたいという気持ちもあったのだと思います。中学のあいだ何もできなかった時間を取り戻したいし、人と会ったりしゃべったりするのに苦手意識があったから、克服したかった。
だから、高校には行かず働くほうを選びました。中学卒業後すぐに、学歴不問・履歴書不要の求人を探して、片っ端から電話をかけました。最初のうちは面接で何度も落ちましたが、手当たりしだい探し続けていたら、条件がそろった求人が見つかったんです。洋食屋のホールスタッフの求人だったんですけど、年齢・性別・学歴すべて不問で、履歴書も不要。しかも家から15分で通えて、交通費もかからない。「これだ」と思って、電話しました。実際に面接へ行ったら、とてもよい感じの社長で、「今日から働いて」と一発OKでした。