不登校の僕を救った母の「好きにしなさい」の一言 俳優・ゆうたろうさんが振り返って語る
あとで知ったことですが、社長自身も中学校を卒業してすぐに起業したそうで、いろいろな方を雇ってきたそうなんです。ずっと家ですごしてきた僕に、「そんなの関係ないからまずはやってみろ。お前の能力を見たいから、いろいろやってみて、できなかったら言ってみろ」と言ってくれたんです。職場の人たちも優しい人ばかりで、まわりに支えられながら、半年間ほどホールで働きました。
バイト代片手に自由を噛みしめ
――バイト代は何に使ったんですか?
念願だった古着屋での買い物にすべてつぎ込みました。広島から高速バスで大阪まで行って、あこがれていた古着屋を訪ねては買いあさり、深夜バスで家に帰るという生活を、4カ月ほど続けました。それまでずっとSNSでしか見ることのできなかった世界に飛び込んで、自分の稼いだお金で古着を手にいれたときは、うれしかったですね。お金を稼いで自由を得る楽しさに、もう無我夢中でした。
そのころから自撮り画像をツイッターに上げるようにもなりました。当時は自分の顔がきらいでしかたなかったんですけど、少しずつ発信できるようになったんです。すると、最初のうちはひとつの投稿に対しては「1いいね」が目安だったんですけど、まれに30くらい「いいね」がつくことがでてきたんです。一つひとつの「いいね」の数が、自分を肯定してくれるようでした。
さらに、もうひとつ転機となることがありました。僕のアカウントを見てくれた姉の友だちが洋服をつくっていて、「ファッションショーのモデルにならないか」と、お誘いをもらったんです。最初は驚いたんですけど、「これを逃したら僕の人生が変わらない気がする」と、直感的に思って、引き受けることにしました。