不登校の僕を救った母の「好きにしなさい」の一言 俳優・ゆうたろうさんが振り返って語る

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

あとで知ったことですが、社長自身も中学校を卒業してすぐに起業したそうで、いろいろな方を雇ってきたそうなんです。ずっと家ですごしてきた僕に、「そんなの関係ないからまずはやってみろ。お前の能力を見たいから、いろいろやってみて、できなかったら言ってみろ」と言ってくれたんです。職場の人たちも優しい人ばかりで、まわりに支えられながら、半年間ほどホールで働きました。

バイト代片手に自由を噛みしめ

(写真:不登校新聞)

――バイト代は何に使ったんですか?

念願だった古着屋での買い物にすべてつぎ込みました。広島から高速バスで大阪まで行って、あこがれていた古着屋を訪ねては買いあさり、深夜バスで家に帰るという生活を、4カ月ほど続けました。それまでずっとSNSでしか見ることのできなかった世界に飛び込んで、自分の稼いだお金で古着を手にいれたときは、うれしかったですね。お金を稼いで自由を得る楽しさに、もう無我夢中でした。

そのころから自撮り画像をツイッターに上げるようにもなりました。当時は自分の顔がきらいでしかたなかったんですけど、少しずつ発信できるようになったんです。すると、最初のうちはひとつの投稿に対しては「1いいね」が目安だったんですけど、まれに30くらい「いいね」がつくことがでてきたんです。一つひとつの「いいね」の数が、自分を肯定してくれるようでした。

さらに、もうひとつ転機となることがありました。僕のアカウントを見てくれた姉の友だちが洋服をつくっていて、「ファッションショーのモデルにならないか」と、お誘いをもらったんです。最初は驚いたんですけど、「これを逃したら僕の人生が変わらない気がする」と、直感的に思って、引き受けることにしました。

次ページ見つけた居場所
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事