「狭く古い家」にしたら手に入った「驚くべきもの」 住めば住むほどにジーンと幸せを噛み締める

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そうだよ。逆に言えば、そんな考え方を変えてしまえば良いのではないだろうか? 客観的状況を変えることはできなくとも、自分を変えることはできる。というか、今の私には自分を変えることしかできない。

町全体がわが家?

ということで、早速私は策謀を巡らせた。要は敵(私)を欺けば良いのだ。

これは案外楽しい作業であった。何しろ私ほど、この敵の弱点を知り尽くしている人間はいない。ゆえに思った以上に次々とアイデアが湧いてきた。何しろこの敵は案外単純で、やすやすと騙されやすいのである。

というわけで、私が考えたのは「家の定義を変える」作戦である。

要するに、家とは何かということを、根本から勝手に考え直すことにしたわけです。

改めて考えてみれば、家が狭いだのモノが入らないだの古いだの今までのゴーカマンションとあまりに差がありすぎるじゃないかなどとどうでもいいことをウジウジほざいているのは、「わが家」というものの定義を実に狭く小さく規定しているからだ。具体的に言えば、玄関のドアを開けた先の小さな空間だけを「家」と決めつけているからである。

この我らが「常識」と思い込んでいる家の定義は、ちょっと観点を変えてみれば案外非常識なのかもしれない。例えば野良猫などは街全体をウロウロして、そこらじゅうで餌をあさったり気ままに居眠りしたりしている。いわば街全体がわが家である。

カラスだってムクドリだって巣はあるにしてもあれは寝るだけの場所で、いわば寝室でしかない。彼らの生きる世界はもっとずっと広い。人間とて生き物の一つと思えば、そのように柔軟に考えたったいいんじゃないか。

うん。町全体がわが家。そう思えば、狭いだの古いだのとほざいている場合じゃない。

これは一見、突拍子もない考え方に思われるかもしれないが、実はこの発想に至ったのは極めて具体的なきっかけがいくつかあった。そのささやかなきっかけを足がかりに、私は「奇跡への階段」を一歩ずつ登り始めたのである。

稲垣 えみ子 フリーランサー

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いながき えみこ / Emiko Inagaki

1965年生まれ。一橋大を卒業後、朝日新聞社に入社し、大阪社会部、週刊朝日編集部などを経て論説委員、編集委員をつとめる。東日本大震災を機に始めた超節電生活などを綴ったアフロヘアーの写真入りコラムが注目を集め、「報道ステーション」「情熱大陸」などのテレビ番組に出演するが、2016年に50歳で退社。以後は築50年のワンルームマンションで、夫なし・冷蔵庫なし・定職なしの「楽しく閉じていく人生」を追求中。著書に『魂の退社』『人生はどこでもドア』(以上、東洋経済新報社)「もうレシピ本はいらない」(マガジンハウス)など。

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