江戸幕府の崩壊招いた「災害連鎖」対応に学ぶ教訓 現代にも通じる先人の危機管理体制の実態

収公と下賜で成り立っていた幕藩体制
幕藩体制とは、国土領有権を預かった天下人(将軍)が、領地宛行状と知行方目録によって領地・領民・城郭を藩主に預けるという預治思想に依拠したものだ。藩主は、預かった領民を保護する義務があった。
ただ幕藩体制は、つねにヒト・モノ・カネを循環させねば成り立たない構造を本来的にもっていた。江戸と国許(くにもと)の参勤交代は、1年おきに将軍と諸大名との主従関係を確認する儀式だったが、そこでもたらされるさまざまな情報が、各藩の統治に与える影響力は大きかった。列島規模で、政治の質を規定したのである。
それに加えて、大名の国替や江戸における拝領屋敷替、国許における家臣団の屋敷替、これらが収公(幕府が土地などを没収すること)と下賜(幕府が土地などを与えること)を通じて健全におこなわれる間は、預治思想が機能していたといえよう。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら