――日本の集団的自衛権をめぐる議論の質をどう評価するか。安倍首相は簡単に押し通すことができなかったことからも、その進め方は非常に民主的に見える。
議論が集中的になされたことは確かだ。安倍首相はいくつか締め切りを設定し、討論をスピードアップした。ただ、その議論している内容は、新しいコンセプトではない。もう何年も前から決まっている問題だ。予想どおり左翼系メディアは憲法改正ではなく憲法解釈による集団的自衛権の行使容認に反対している。
公明党は苦境に立たされている。特に創価学会婦人部は平和主義から遠ざかることにアンハッピーだ。公明党としては安倍首相が推し進める提案をすべて受け入れるには強い抵抗がある。安倍首相もいくらか妥協をしなければならなかった。
――日本人の中には軍国主義化を懸念する声もある。
左翼の中に懸念する声があることは確かだ。それは第二次世界大戦が終わって以来の長期にわたる声だ。戦後世代の多くが、そういう強い感情を持っている。しかし、よくよく考えてみると、そういう心配は国家そのものに対する信頼の欠如でもある。
――その心配は戦後世代だけのものではない。自民党の古参議員の多くも安倍首相に反対している。
確かに自民党の中には安倍首相の急ぎすぎを懸念する向きや、彼の右翼との結び付きに疑念を抱く向きもある。自民党は一枚岩ではない。しかし、この議論の多くは、東アジア地域の国際環境の変化に行きつくだろう。日本を取り巻く国際環境の変化は、安倍首相に疑念を抱く人たちをこれまでと違うポジションに向かわせることになる。
日本が対等な同盟を望むのは当然だ
――日本は第2次世界大戦に敗北し、それに続く吉田ドクトリンによって米国に対し従属的ポジションを強いられたと考えている人が多い。しかし、今回の集団的自衛権の行使容認によってそのポジションはどの程度変わるのか。言い換えれば、大戦に敗れた日本は今、新しいアイデンティティを確立できるのでしょうか。
日本の保守派にとって、戦後秩序は苦い薬だった。日米同盟が署名されても、日本には20万人以上の米軍が駐留している。それは吉田茂元首相やその後の指導者たちが、米国の占領を終わらせるために支払わなければならない代償だった。そういう事情はすぐ忘れられてしまうが、最近の議論の中で蒸し返されている。
ダレス元国務長官が側近に語った言葉を思い出す。すなわち、1952年の安全保障条約は日本が自発的に米国占領の継続を受け入れるためのものだった。米国は日本を従属する。これは米国主導の戦後秩序の中でもユニークな存在だ。日米同盟は、何よりもまず混乱する日本を管理し制御する道具だった。
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