日本人を縛る「成長する人=偉い」という思い込み ネオヒューマンが示す「AI教が人類を救う」訳

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ただ問題は、「成長しなくていい」という共通認識があっても、格差の問題が解決できないので、大っぴらには言わないというところですね。「脱成長」と言うと、「金持ち左翼」と呼ばれる人たちの用語になってしまいます。しかし、現状のままでは幸せになれない人が大勢いるわけです。

自分のAIパーソナリティが、VRの閉じた世界のなかで生きられることは、いいことなのかどうかはわからない。けれど、仮にベーシックインカムが実現して、収入が保証された場合、「負け組」とされ、誰からも承認されなくてもいいという人ならば、1日中そのVR空間に浸っていることもできてしまいます。

しかし、人間、承認されなくてもいいという人は、それほどいません。時間があるならば、ボランティアとして働くなどして、価値提供をしたい、そして誰かに承認されたいと思うものです。

ですから、VR空間で生き続けるということそれ自体がいいことではない。そうではなく、あくまでも、「自分の過去のパーソナリティをAIに移し替えて、無限に楽しく生きられる存在にもなれる」ということを期待できる、そういう未来を想像できるということが、現世に生きる私たちにとっての救いや癒やしになりうるのではないかとも思うのです。

死の恐怖を和らげる「死後のAI」

自分の死後も自分のAIがコミュニケーションしてくれるという未来が来れば、僕は、それが多くの人の死の恐怖を和らげるのではないかとも考えています。

なぜ人は死ぬのが怖いのでしょう。それは、自分が忘れられることが怖いのです。

古代と現代では、人々の「時間」に対する感覚が違います。古代人は、直線的な時間の認識がなく、「春夏秋冬」がループし続けるという捉え方しかなかったんですね。自分たちが進化するとも考えていないし、ただ無限に季節がめぐり、春になれば田植え、秋になれば収穫というふうにしか捉えていなかった。

「あなたのおじいさんはいつ亡くなったの?」と聞かれると、現代人は「1990年」など時間的に語りますが、古代の人は「田植えの頃に死んだ」というふうに答えていたはずです。

つまり、円環的な時間の認識です。それは、今、一瞬一瞬に生きるという価値観であって、人生にいつかゴールが来るという捉え方もなかったんだと思います。だからこそ、死ぬのはそれほど怖くなかったのではないでしょうか。

それが歴史という観念が生まれたことで、時間を認識し、未来になるとこの時間が終わってしまうことを知った。何十億年先には宇宙も終わる、自分という存在は、長い時間軸のほんの一瞬で、歴史上の小さな塵でしかないということを認識してしまったわけです。

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