日本人を縛る「成長する人=偉い」という思い込み ネオヒューマンが示す「AI教が人類を救う」訳

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2000年代は、終身雇用が崩れ、新自由主義的なジャングルのなかで成長しなければならないという時代でした。しかし、昭和の時代は、その体制に批判はあっても、普通の人が平凡に暮らして、一戸建てを建てることができたわけです。

そして、ああいう時代をもう一度つくったほうがいいのではないかという議論は、常にあります。無理して成長しなくても、平穏でいられる社会になってほしい、ゴールはなくても今を維持できればいい、低成長でも持続できればいいという感覚もあるわけです。

若い世代の起業家にも、そのような感覚の人が増えています。かつては上場して世界一を目指すというのが一般的でしたが、今は無理して成長するよりは、価値を共有できる仲間と一緒にやっていきたいという感覚なのです。それは決して悪いことではありません。

VRの世界観は、こういった価値観に回帰しつつある現状と相性がいいのではないかと思います。いまこの瞬間が持続して、閉じた時間のなかで生きてゆけることが幸せなのだ、と。『ネオ・ヒューマン』のラストシーンは、その象徴かもしれません。

究極の自由=閉じた世界に生きること?

最近「自由」という意味も変化してきたと感じます。かつての「自由」は「解放」でした。しかしいまは、「自由」であることが逆に「抑圧」になっています。

佐々木 俊尚(ささき としなお)/ジャーナリスト。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政治経済学部中退。毎日新聞記者、『月刊アスキー』編集部を経て、2003年よりフリージャーナリストとして活躍。ITから政治、経済、社会まで、幅広い分野で発言を続ける。最近は、東京、軽井沢、福井の3拠点で、ミニマリストとしての暮らしを実践。『レイヤー化する世界』(NHK出版新書)、『そして、暮らしは共同体になる。』(アノニマ・スタジオ)、『時間とテクノロジー』(光文社)など著書多数(写真:筆者提供)

恋愛について考えるとよくわかります。戦前は、お見合いや、親が決めた結婚が当たり前でした。しかし、戦後は自由恋愛になった。それでみんな狂喜乱舞したわけで、恋愛は自由の象徴でした。その時代が半世紀続き、いまは恋愛そのものが、抑圧になっています。

つまり、恋愛できる勝ち組だけが恋愛し、負け組の非モテ、弱者男性が現れている。しかし、今の時代、結婚しなくても何も言われなくなりましたし、同性の友人と一緒に過ごしていることが楽しいという価値観もあります。

東京で暮らしている女性が、地方の夫のもとに嫁いだ場合などは、盆暮れには夫の実家に帰省して、あれこれ手伝いをやれと言われ、「何だこれは?」ということになったりもします。

子どもを産んで、家を建ててこそ一人前という近代の成長モデルとも違ってきて、家族の意味も変化していますね。お金を稼いでくる「一家の大黒柱」お父さんの大事さが減っている。結婚しなくてもいいし、LGBTQも浸透してきている。

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