「アート」が行き詰まった社会の変革に必要な訳 国谷裕子×箭内道彦、東京藝大の秘密に迫る
あの「クローズアップ現代」の国谷裕子が藝大に
箭内 道彦(以下、箭内):NHKの「クローズアップ現代」が23年の幕を閉じて、国谷さんはこれからどうするのかと思っていたら、「あっ、藝大にいた!」っていうのがすごくびっくりでした。そもそもなぜ藝大の理事になられたんでしょうか?
国谷 裕子(以下、国谷):ちょうど澤和樹先生が学長になられる時に私は「クローズアップ現代」を辞めて、いろんな学校、大学からもお声をかけていただきましたが、最初に声をかけていただいたのが藝大だったんです。なぜ声をかけられたのか不思議でした。
実は、あとでお話ししたら、澤先生が、藝大と社会をもっとつなげたいと。藝大が最後の秘境みたいに世の中と切り離されていてはサステイナブルではない、もっと社会と藝大の接点を増やしたいと思われていたらしくて。ずっと「クローズアップ現代」を見てくださっていて、なにか思われたのでしょうか、声をかけていただいた。
初めてご挨拶に行った時に、とても不思議なご縁があることがわかったんです。澤先生は和歌山ご出身で、私の母も和歌山出身。話をしていたら、「お母さまのお名前は」って聞かれて、「和中」っていいますって答えたら顔色が変わった。私の祖父の名前が和中金助というんですけれど、「僕の最初の後援会長でした」って。
箭内:えー、そうなんですね。
国谷:はい。祖父が後援会長。それはまったくご本人も知らないで声をかけてくださって。とてもご縁を感じたというのと、それに藝大にはあこがれがありました。私もアメリカの大学でシルクスクリーンなど、いくつかアートの単位を取りました。でも、芸術家の方々は近寄りがたいものがあると思え、東京藝術大学は遠い存在。一方で、「クローズアップ現代」をやっていて、イノベーションや素晴らしい発想など、さまざまな意味で人を結びつけるアートの力をもっと活用しなければいけないということは以前から思っていました。
それで、あこがれのところから声をかけていただいたならやるしかない、むしろやってみたいと思いました。素晴らしい先生方がいらっしゃるだろう、人との出会いも楽しみで、そういう場にちょっとでも接点を持てたら学ぶことも多いし、もしお役に立つのならと思いました。