Netflixに代表される動画配信サービスから流れてくる、海外の大作映画/ドラマ。対して、YouTubeなどの動画サイトから流れてくる、即時性とバラエティ性に富んだコンテンツ。現代のテレビメディアを考えるとき、これまでは決して戦う相手ではなかった、それどころか、昭和の時代には影も形も存在しなかった競合との差別化を考えなければならない。
そんな新たな競合に対して、テレビメディア、その中の主役の1つであるドラマが立ち向かうための数少ない武器が、脚本だと思う。優秀な脚本家による、深みと広がりのある「セリフの力」で視聴者を圧倒すること。
Netflixが仕掛けてくる、潤沢な資本を背景とした空中戦。YouTubeが仕掛けてくる、途方もない数の動画クリエイターによるゲリラ戦。これらに対抗するのは、ドラマの骨格である脚本、その中のセリフを練りに練っていくという、地道かつ本質的な戦い方ではないか。
NHK放送文化研究所が5月20日に発表した『国民生活時間調査』が話題を呼んだ。15分以上のテレビ視聴を「見た」と定義した場合、平日にテレビを「見た」割合は、10~15歳で56%、16~19歳で47%、20代で51%に留まる。つまり、ざっくり言えば、10~20代の何と約半数が、平日にテレビを見ていないという事実が判明したのだ。
しかし、調査結果を逆に読めば、40代で68%、50代で83%、60代では94%「も」が、テレビを見ているということでもなる。私含むこれらの中高年は、けばけばしく・けたたましいバラエティ番組よりも、「セリフの力」を活かした「文芸的小品」の方に親和性が高い世代でもある。
若者向け広告枠のセールスとの乖離はあれど、少なくともドラマについては、中高年をターゲットとして、脚本、セリフを練り上げる本質的な戦い方に、脈があるのではないか。誤解を恐れず言えば、そこにしか脈はないのではないか。
そして、そんな戦い方による「神クール」が続いた後に待ち構えるのは「ドラマの黄金時代」である。
「ドラマの黄金時代」へのバトン
思えば、「ドラマの黄金時代」への振り出しは、ちょうど10年前の2011年放送、「朝ドラを超えた朝ドラ」と言われた『カーネーション』ではなかったか。脚本は『今ここにある危機とぼくの好感度について』も手掛けた渡辺あや。
その『カーネーション』や、その2年後の宮藤官九郎脚本の朝ドラ『あまちゃん』などに感化された脚本家たちが、この「文芸的小品」がそろった「神クール」、そして「ドラマの黄金時代」への予感を支えているのだろう(坂元裕二は別格として)。
『おかえりモネ』のサヤカ役の夏木マリは、『カーネーション』の主役=小原糸子の晩年を演じていた。また『おかえりモネ』の舞台である宮城県は、岩手県を舞台とした『あまちゃん』と同じく東北である。つまり『おかえりモネ』は、「ドラマの黄金時代」へのバトンを手渡されているようなものだ。期待せずにはいられない。
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