「余暇」の重要性を説いたアリストテレスの慧眼 古代ギリシャの「治乱興亡の歴史」に学ぶ教訓
そのための制度や法律を作ることも大事ですが、それ以上に大事なことは、「徳」に満ちた国家にすることです。権力者はもちろん、国民各層にも「徳」が求められる。ただしそれは、個々人の資質に期待するというより、政治的に国民に向けて「習慣づけ」を促すことによって可能になるというのが、アリストテレスの考えです。
余暇がなければ「徳」は生まれない
加えて特徴的なのは、「閑暇」つまり余暇の重要性を説いていることです。人々が平和を求めて仕事に従事するのは、閑暇を得るため。ではその閑暇をどう過ごすか。それが有意義であるほど、「よき魂」が滋養されると説きます。そこで国家としてやるべきことは2つあります。国民に閑暇を与えること、そして閑暇を有意義に過ごす方法を教えることです。
その考えは、教育論にも反映されます。昔から必須とされてきた教育分野が4つあるとして、読み書き、体操、音楽、図画を挙げています。このうち音楽については、教育ではなく快楽ではないかという意見もあったようです。これに対して、アリストテレスは「休息」と「閑暇」の違いを指摘します。仕事を続けるために「休息」は必要である。快楽をともなう“遊戯”はそのための薬である。しかし「閑暇」はこれとは異なります。
アリストテレス曰(いわ)く、「閑暇」は仕事とは無関係に、個々人が時間・空間を費やして幸福を追求するために存在する。それが「よき魂」を養うとすれば、いかに貴重かがわかるでしょう。音楽や芸術の素養を身につけさせるのも、この目的から。たしかに“遊戯”をするためではないのです。
この考えの延長線上に、今日の「リベラルアーツ」があります。子どもが仕事に駆り出されることなく勉学に集中できるようになったのは、比較的現代の先進社会からです。そしてもう一段上位の教育として、西洋の大学では古典を通じて「徳」の滋養を徹底するようになったのです。
『政治学』は、今からおよそ2400年前に書かれたものです。しかし、繰り返しますが、現代人が読んでもまったく古さを感じさせません。それはひとえに、その思想が人間社会における正義と不正義、善と悪といった価値観の本質を突いているからでしょう。
だからこそ、アリストテレスの教えは、プラトンも含めて「ヘレニズム哲学」として後のキリスト教哲学にも取り入れられ、西ヨーロッパの中核思想となり、さらにアメリカに渡ってグローバル社会における中枢の価値体系の源流にもなっていったのです。
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