シンガポールのメリトクラシーについて、実際のところは、人種や家庭環境など産まれた環境によって不平等があることについては、南洋理工大学のTeo You Yenn准教授が書いた『This Is What Inequality Looks Like』(2019年)など、国内でも指摘がないわけではない。現場労働や家事労働を外国人労働者に任せているモデルにも海外から賛否はある。
しかし、エリート官僚と政治家による国家主導で企業を誘致し高度人材を惹きつけ、経済発展をこれまで実現してきた実績とPISA等のスコアから、シンガポールの教育を成功モデルとして褒めちぎる論者もいる(アンドレアス・シュライヒャー『教育のワールドクラス』(2019年)など)。
プラクティカルでプラグマティックな選択
では、このようなシステムについて、シンガポール人自身はどう考えているのだろうか。教育関係者の中には客観的ないくつかの指標の成功には自信を見せる人もいるが、全方位的に胸を張っているかというと、これがそうとは限らない。
シンガポールの教育の課題としてまずあげられるのは、競争過熱によるストレスだ。シンガポールの教育システムの最大の特徴は、小学校修了時にPSLEと呼ばれる試験があることだ。近年改革もしているが、長い間、この結果で中等教育において進むコースが振り分けられる制度があり、しかも、それを経て最終的に獲得した学歴による賃金格差が大きい。
そのため、親子のストレスが非常に大きい。2018年のPISAで「試験で失敗するのではないか不安に思う」と回答した生徒は70%を超え、世界でも最も高いグループに入る。子どもの成績にやきもきする親のことも、負けることを恐れるという意味の方言から「Kiasu」と言われ、親のストレスも大きくこのことが少子化の要因の1つともされている。
もう1つ、NUS(シンガポール国立大学)卒や欧米への留学経験を持つエリートがやや自虐的に語るのは「シンガポール人は点数を取るのは得意だけれど、決められたことしかできない」「リスクを取ってイノベーションを興すような人物が育たない」といった内容だ。
このような内容はある意味で定型化した語りであって、日本の受験エリートについて言われてきたこととも重複するように見える。ただし、著者が東京大学とNUSの両方を知っている大学教員2人にこのようなシンガポール人自身の見解をぶつけたところ、「主観的な感想にすぎないが、自由な発想の学生がいるかどうかという観点では、NUSより東大のほうが多様で面白い印象を受けた」と一致していた。
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