明治の偉人が「野球害毒」叫んだうなずける背景 新渡戸稲造らが批判、「ゲーム脳」と繋がる論調

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「旧選手の懺悔」から3日後の9月8日、東京日日新聞に「野球に対する余の意見」という記事が掲載されます。そのなかで河野は、怒りとともにおおよそ次のように述べました。

・東京朝日新聞に掲載された自分の「懺悔」は事実ではない
・自分が記者の名倉聞一にインタビューを受けたが、掲載されたようなことは一切言っていない
・選手の服が華美というのはたしかにそう思わなくもない
・しかし入場料については当然の措置だ。きょうび演奏会も演説会も入場料を取る
・これは名誉の問題であり、以上の文を「野球と其害毒」と同ページ、同サイズの活字で8日までに掲載してほしい。されない場合は即刻法的な手続きに出る

河野の抗議を受けた東京朝日新聞は、その2日後の9月10日、紙上に河野の「反論文」を掲載しました。本人の希望どおり、同ページ、同サイズの活字での掲載ですが、せめてもの反抗か、他の記事と比べて行間が狭く、ルビ(ふりがな)もなく若干読みづらい構成になっています。

「害毒論」が生まれる下地はあった

『野球と其害毒』は、今日の野球を基準としてみればあまりにも強引な批判と言えます。しかし、当時の「野球」というスポーツが置かれた状況を鑑みると、たしかに「害毒論」が生まれる下地はありました。

第一高等学校野球部は、国内における野球発祥の場所というだけあり、各大学の追随を許さない強さを誇っていました。しかし無敵の牙城を崩したのが、早稲田大学、慶応大学の2校です。1904年に早稲田大学が第一高等学校を破ると、早慶戦の時代へと突入します。

早稲田大学教授の安部磯雄が率いる早稲田大学野球部は、アメリカへ遠征を行いました。バントやスライディング、ワインドアップ投法など、これまで見たことのない本場の技術を日本に持ち込んだことで、大学野球のレベルは飛躍的に向上したのです。

安部が持ち帰ったのは野球の技術だけにとどまりません。「本場の応援法」は、各校ごとに応援団を結成し、カレッジソングを熱唱。カレッジフラッグを振り回し、時には相手チームに野次を浴びせるというものです。そして、重要な試合の前には相手校へ脅迫まがいの不審電話まで相次ぐ始末。応援方法が異常性を帯びていったことで、早慶戦が「状況不穏のため」として無期限休止となることもありました。

また、有力チームの選手たちにファンがつき、さらには「追っかけ」も現れるなど、さながら人気アイドルのような様相を呈します。選手のなかには、半端に覚えた噛み煙草を口に含み、茶色い唾を吐く者。試合に勝てば、ファンの金で飲み屋を渡り歩く者などが現れました。野球を取り巻く状況に、当時の父兄らが眉をひそませたのも十分うなずけます。

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