坂本龍馬が岩崎弥太郎に強引に金をせびった訳 教科書ではわからない幕末の志士たちの懐事情
海援隊は、龍馬のつくった「私設艦隊」として、中学校の歴史の教科書にも載っている。が、私設艦隊と言われても、普通の人はそう簡単にピンとはこないはずである。
「私設艦隊というけれど、艦隊が私設でつくれるものなのか?」「その金はどうやって捻出したのか?」「なんのために私設艦隊をつくったのか?」など、疑問符が次々とつくはずだ。
「海援隊」とはどんな組織か?
さて、この海援隊とは、いったいなんなのか? 海援隊というのは、簡単に言えば「龍馬ら隊士たちは、平時は船団を率いて貿易業などをおこない、戦争になれば海軍となり土佐藩を助ける」「土佐藩は、隊士たちに給料を払ったり、船を提供したりするなどの便宜を図る」というものである。
ただ、ここで注目していただきたいのが、海援隊士たちはあくまで「浪人」だったということである。土佐藩に藩士として取り込まれたわけではないのだ。
土佐藩としては海援隊全員を藩士にするかどうかはともかく、龍馬に対しては藩士になってほしいという考えがあったはずだ。しかし、龍馬は浪人という立場にこだわった。ここが、龍馬の龍馬たるゆえんだと思われる。土佐藩の助けは借りたい、土佐藩に協力もする、しかし土佐藩の中に組み込まれるわけではなく、あくまで対等な立場での協力関係だ、ということである
龍馬としては今更、藩士に戻って藩の命令に従うなどはやってられない、ということだったのだろう。そして、土佐藩にも自分たちにも得になるWIN‒WINの関係を築いたというわけだ。
海援隊には約規が存在し、次のようなことが定められていた。まず海援隊の入隊資格については「本藩(土佐藩)を脱藩したもの、他藩を脱藩したもの、海外に志があるもの」となっている。つまり、脱藩者を入隊資格にしたところが、海援隊の非常にユニークなところと言えるだろう。
しかも、冒頭に「凡嘗テ」とあるため、必ずしも浪人じゃなくてもいいということになっている。まあ「志があれば誰でも入れる」ということである。実際にはどうかというと、海援隊士は、土佐藩脱藩者を中心とした諸藩の脱藩浪人だった。
が、若干ではあるが普通の藩士(福井藩士など)もいた。海援隊の目的は「運輸業、商取引、開拓、投機、本藩(土佐藩)の応援」となっている。また会計については「原則として独立独歩でおこなう。利益は隊員に分配し、私用してはならない」となっている。
ただし、独立独歩というのは、あくまで目標であり、もし自弁できずに赤字が生じたときは、土佐藩から支援が受けられることになっていた。
実は龍馬たちにとって、この項目が、もっとも重要な部分だったと言えるだろう。単なる「浪人結社」ということなら、それまでの亀山社中も同じ性質を持っていたので、わざわざ海援隊に編成替えする必要はなかったのだ。
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