「技術に土地勘ない人」が絶対知るべきDXの根本 感情的に判断するのではなく「正しく恐れる」

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明治中期から昭和初期の物理学者で随筆家としても有名な寺田寅彦は「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい」と書いた。

東日本大震災での原発事故について多くの科学的でない言説が流れ、風評被害や被災者差別にもつながった。そこで「正しい科学知識を持って状況を理解して対応するべし」という戒めとして、この言葉が見直された。

しかし、もちろんこの言葉自体は中立で、「恐れるな」と言っているわけではない。恐れるべきときに恐れないこともまた「正しく恐れていない」ことだ。問題は「何が正しいか」だ。

こんにゃくゼリーが窒息を起こし、大きなニュースになって販売中止されたときでも、毎年1月にいつも数百人程度の死者を出す餅は禁止されない。ことほど左様に、人は未知の脅威を過度に恐れ、馴染みの脅威は軽く捉える傾向がある。それが「正しく恐れる」ことを難しくする。

このあたりの論理は、確率的な害という概念に慣れていないとわかりにくい。そこがわかっていないと「ウチのじいさんは毎日タバコを吸っても80まで生きた」から、「タバコに害はない」というような人が出てくる。それは恐れるべきときに恐れないということだ。

タバコを吸う以外は同じような生活で、吸うと吸わないだけが違うそれぞれ100人のグループがあったとして、吸う側で80歳まで生きたのが20人、吸わない側では60人なら、タバコに害があるのは確かだろう。

タバコと低線量放射線の害は「程度の問題」

この「確率的な害」という観点で考えれば、タバコと低線量放射線の害は同じで単なる程度の問題だ。

そもそも人間に対する低線量放射線の害は、基本的にはDNAの部分的破壊による細胞のがん化であり、タバコの害も酸化によるDNAの部分的破壊による細胞のがん化で、原因は違っても害の質は同じだ。

その「程度の問題」で考えると、タバコの害を低線量放射線の害と確率的に比べることも可能で、タバコ1本の喫煙は「発がん確率上昇について本人2シーベルト、受動喫煙でも0.1シーベルト相当」という。福島原発事故のあとに、タバコを吸いながら「放射能が怖いので東京を脱出するべきだ」と力説していた論者などは、「正しく恐れて」いたとは言えないだろう。

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