中野:もっとも、「政府の哲学」はあくまで安定した独立国家の存在を前提としています。そのため、「独立国家はいかにして可能か」という問いに対しては適切な答えを出すことができません。
これは民主政治について考えればわかりやすいと思います。民主政治とは、簡単に言うと「みんなで話し合って物事を決める政治」のことです。それでは「みんな」とは誰のことか。「みんな」が誰かを決めなければ話し合いは始まりませんが、「みんな」の範囲を「みんな」で話し合って決めることはできません。
この点を追究するのが「政治秩序の哲学」です。先ほど述べたように、国民国家の範囲は歴史的経緯の中で決まったのであって、自律的な個人の合意や民主的手続きなどによって決まったわけではありません。
ハゾニーが主張しているのは「保守主義の利点」
これに対して、ハゾニーは、現在の秩序には明確な根拠はないけども、いまのところバランスがとれているのだから、この秩序を維持していこうと考えます。いわば「暫定協定」として政治秩序を守ろうとするわけです。このような思想は保守主義と言っていいと思います。
仮にトランプ派と反トランプ派が内戦を起こせば、アメリカという国民国家は分裂しますが、トランプ派のネイションからなる国民国家と反トランプ派のネイションからなる国民国家ができるだけの話で、国民国家そのものが消えるわけではありません。
しかし、ハゾニーはそれをよしとしているわけではありません。彼は国民国家一般を擁護しているのではなく、現に存在する国民国家を擁護しているのです。彼は現在の政治秩序を重視し、それを守ることに利益を見出しているのです。だから彼が主張しているのは、「ナショナリズムの美徳」というよりはむしろ「保守主義の利点」なのです。
佐藤:ただし国民国家という「暫定協定」には、論理とは異なる無意識的な基盤があります。つまり神話。神話とは、無意識の願望を言語化・物語化することで、意識的に共有できるようにしたものです。多分に偶然によって成立した国民国家の枠が、こうして「必然的なもの」と見なされるようになる。暫定協定の永続化が図られるわけです。「神話を学ばなかった民族は例外なく滅ぶ」とは、アーノルド・トインビーの名言とされる言葉ですが、神話が共有されればネイションはまとまり、共有されなくなれば解体する。