須賀:政府のレジティマシー(正当性)が問われる中で、同時に、本当に国民を守った国家はどこだったのかということもリアルタイムに可視化されていますよね。船橋さんは、「新型コロナ対応・民間臨時調査会(コロナ民間臨調)」を主催されていましたが、日本の通信簿を付けるとするならば、どのように評価されていますか?
船橋:今のところ60点くらいでしょうか。ちょっと甘いかもしれないですけどね。
須賀:優しさがにじみ出ていますね。
船橋:できの悪い子どもほどかわいいということなのかもしれません(笑)。第1波は、「コロナ民間臨調」の言葉を使うなら、「泥縄だったけれども、結果オーライだった」ということだと思います。ダイヤモンド・プリンセス号で集団感染が起こった2月の初めから3月にかけては、1日のPCR検査の数がおよそ300件で、絶望的なキャパシティー不足でした。
プリペアドネス(準備)が欠如していると、緊急時に取るレスポンス(対応)の選択の幅が大幅に狭められてしまうんですよね。このような準備不足そのものを採点すると、落第点ですが、切れるカードが限られている中で、何とか対応したという点を見れば、こちらは65点ぐらいをつけられたのではないかと思います。
「ワクチン敗戦国」に転落した日本
須賀:なるほど。
船橋:問題は、夏から「Go To キャンペーン」に至る期間でしょう。この時期に政府が必死になって、次に備えるということをしなかったのが、非常に大きな問題だったと思っています。そして、実際に第3波が来てしまった。やはり、「Go To キャンペーン」を含めて甘かったのだと思います。経済再開に前のめりになってしまったことは否めません。
そして、ワクチンに関しては、残念ながら日本は敗戦国だと言えるでしょう。1980年頃は、ワクチン開発に関して、日本は世界トップクラスの国だったわけですが、およそ40年時ほど経ち、完全にずり落ちてしまった。「民間臨調」の報告書では、ワクチンでは、日本は「三周半遅れ」という政府部内の声を紹介しています。アメリカ、イギリス、それからインド、中国、ロシアといった国が、ワクチンの開発体制を自国に敷き、生産を進めています。確かに、出来不出来ありますが、なぜ日本がそこからなぜ脱落してしまったのか、今後のパンデミックに対するワクチン体制をどう再構築するのか、ということに対する危機感を私たちはもっと持つべきだと思います。
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