須賀:これまでの対談シリーズでも、日本人は、過去の総括・検証をしないために、世界に対して知的貢献ができないと指摘される方が多くいらっしゃいました。船橋さんがおっしゃるように、政府は、明日の打ち手をよりよくするために、真摯に振り返り、生きた検証をやるべきだったと思います。今の日本政府に検証のメカニズムを埋め込むためには、何が必要になるのでしょうか?
「検証しない」文化から脱却するために
船橋:政府だけではなく、企業、大学、メディアなどもそうですが、日本は本当に検証することが苦手な国だとつくづく感じます。終身雇用や年功序列、お身内大事や多様性排除の組織の下での人間関係では、気遣い、気配り、忖度(そんたく)を含めた、情の濃いタテ社会型の組織文化ができあがります。第三者委員会を作っても、落としどころはどこあたりで……と忖度するところからスタートするようなアンバイです。これでは、クリティカルな検証は難しい。
ただ、「日本という国は検証ができない国だ」「それは日本の文化のせいだ」とは言いたくはありません。確かに組織文化の問題はあります、ガバナンスの課題もあります。リスクの評価とリスクの管理をそれぞれどうやるか、そこも課題が多い。受容できるリスクや、いざというときにどこを最大限守るのかという優先順位に関する合意がつくれない。検証をするときは、Bチームをつくって、そうしたリスク、ガバナンス、リーダーシップのバグ(不具合)をデバグするように非情にえぐる必要がありますが、それがなかなかできません。
須賀:おっしゃるとおり、文化のせいにして、思考停止するのではなく、具体的な課題に目を向けることが重要です。
船橋:日本は、国会によるオーバーサイト(監視)の機能が非常に弱い国だということにも問題があると思います。アメリカをあまりモデルにしたくはありませんが、例えば、1980年代のチャレンジャー号事故、今世紀に入ってからのコロンビア号事故と、NASAは2つの大きな挫折を経験してきた中で、アメリカの議会は、これらの事故に対して公聴会を開いて、詳細な報告書を出しています。シンクタンクも独自に検証報告書を出しましたし、NASAの事故以外にも、大きな事件や災害、悲劇については議会が検証に乗り出す伝統があります。
それぞれの組織においても、これは”After Action Review”と言いますが、国務省やペンタゴンでも、政策展開や行動の後に、レビューをする仕組みがあります。大使が国内に帰ってきたときは、国務省の歴史家がヒアリングをし、記録を残します。そして後任の大使を派遣するときには、その記録を読ませる。これも検証文化の1つだと思います。日本には、そういった検証文化が希薄です。未来に向けて、次に向かって踏み出すとき、まずこれまでのいきさつと課題を検証するところから始めるものでしょう。歴史を知らずに未来に向けて飛び出すのは危ないし、怖い。
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