コロナ禍の日本に見えた国や人の大いなる難題 船橋洋一さんが語る「日本の勝ちすじ」

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船橋:2011年の東日本大震災の際に、国会は、超党派で「国会事故調」を設置しました。戦後初めて国政調査権を付与され、予算もつけられた非常に画期的な例です。しかし、なぜあのときに、「10年原則」を入れておかなかったのか。レビューをした10年後に再検証するところまでを含めて仕組みを作っておくべきだったと思います。

東日本大震災の例だけでなく、日本の検証は、やったとしても、一発主義なんです。一度やったら解散で、資料もどこにいってしまったのかわからない。10年後にもう一度再検証するということを最初に埋め込んでおき、再検証を積み重ねる文化を作っていく必要があります。

(撮影:間部 百合)

東日本大震災での経験から学ぶべきこと

須賀:船橋さんの圧倒的な危機感と当事者意識は、どこから湧いていらっしゃるのでしょうか? 「検証しなければ怖い」とおっしゃられましたが、そういった正しい「怖さ」や「恐れ」を持つということは、とても知的に謙虚な態度だと思います。そのような船橋さんの態度を見ていると、政府が検証せずに次から次へと火事場の対応を続けていくありさまに対しては、国民の命を預かっている立場として、あまりにも不遜な態度として映ってしまうんです。

船橋:やはり、東日本大震災で経験した衝撃は今でも強く残っています。あのとき、私たちが目にしたことは、戦後の日本が踏襲してきたやり方や考え方は、本当の有事が起こった際に、何1つ役に立たないということでした。比喩的に言うならば、“有事の備えのない”備えは、備えではない。法制も機構も意思決定過程もガバナンスもリーダーシップもそれぞれがメルトダウンしていく過程をあのとき見たんだと思います。

原発事故の後、官邸は首相以下誰もかも電源車の手配をしていた。子どものサッカーのように。最悪のシナリオとなったとき、メルトダウンする炉と崩壊する使用済み燃料プールと燃料棒がコンクリと接触し、そこから空中に出る大量の放射能物質を誰が封じ込めるのか、そうした「究極の問い」には答えられなかった。当時の菅直人首相は、東電の社員に「命をかけてくれ」と命じるほかなかったんです。自衛隊は、チェルノブイリのときのソ連の空軍のように、2週間昼夜を問わず、5000回ヘリを上空に飛ばし、スラリーを投下して「石棺作戦」をする態勢ができただろうか。

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